翻訳と辞書
Words near each other
・ マレンコ道場
・ マレンゴ
・ マレンゴの戦い
・ マレンゴ郡 (アラバマ州)
・ マレンツィオ音楽院
・ マレンティーノ
・ マレンヌ
・ マレンマ・シープドッグ
・ マレン・エッゲルト
・ マレン・ブリンカー
マレン・マレ
・ マレン・モーテンセン
・ マレヴ・ハンガリー航空
・ マレ・サウ
・ マレ・ディババ
・ マレー
・ マレー (アクラン州)
・ マレー (ケンタッキー州)
・ マレー (スコットランド)
・ マレー (出版社)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

マレン・マレ ( リダイレクト:マラン・マレー ) : ウィキペディア日本語版
マラン・マレー

マラン・マレマレーMarin Marais1656年5月(洗礼:31日) - 1728年8月15日)は、フランス作曲家指揮者、バス・ヴィオール(ヴィオラ・ダ・ガンバ)奏者。
パリ南の貧民街で見習い靴職人の子供として生まれ、幼少の頃から音楽の才能を認められて1667年にはパリ第一の音楽教育機関だったサン=ジェルマン=ロクセロワ教会の聖歌隊に入り、1672年までフランソワ・シャプロンなどのもとに教育を受ける。
聖歌隊を出た後、ヴィオールサント=コロンブなどに師事して、名手として知られるようになり、おそらくはリュリ門下の作曲家ジャン=フランソワ・ラルウェットなどの手引きもあって、1676年にはパリのオペラ、そして1679年8月1日からはルイ14世の宮廷のヴィオール奏者に任命された。また作曲家としての名声も高く、1693年に最初のオペラ『アルシード』を発表してからは、パリのオペラの作曲家、そして後には指揮者としても成功をおさめている。晩年にはまた、ヴィオールの優れた教師として知られた。
1676年9月21日に結婚した妻のキャトリーヌ・ダミクールとの間に生まれた十数人の子供のうち、数人は音楽家として名声をなした。
== 作品 ==

*オペラ
 *アルシード(1693年
 *アリアーヌとバッカス(1695年
 *アルシオーヌ1705年
 *セメレ(1709年
*器楽曲
 *独奏・二重奏のためのヴィオール曲集(第1巻)(1686年、通奏低音は1689年
 *トリオソナタ集(1692年
 *ヴィオール曲集(第2巻)(1701年
 *ヴィオール曲集(第3巻)(1711年
 *独奏・三重奏のためのヴィオール曲集(第4巻)(1717年
 *『音階』と、その他の合奏曲集(1723年
 *ヴィオール曲集(第5巻)(1725年
  *作者の実体験を題材にしたナレーション付きの楽曲、「膀胱結石手術図」が有名。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マラン・マレー」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Marin Marais 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.