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マレー蘭印紀行(まれーらんいんきこう)とは、金子光晴(1895年~1975年)が1940年(昭和15年)に上梓した紀行文である。 == 本紀行について == 金子は、1928年(昭和3年)から1932年(昭和7年)にかけて中国、ヨーロッパ、南洋を放浪した。本紀行は、この放浪のうちの南洋のマレー半島、シンガポール、ジャワ、スマトラでの見聞をもとに書かれたものである〔「マレー蘭印紀行」中公文庫改訂版(2004年)177ページ 松本亮による解説〕。本紀行は、8つの章から構成される。すなわち、「センブロン河」、「」、「」、「」、「コーラルンプル」、「シンガポール」、「爪哇(ジャワ)」、「スマトラ」の各章である。金子自身も、「この旅行記に収めたものは、馬来半島ジョホールのゴム園と、スリメダンの石原鉱山を中心としたもので、爪哇、スマトラの旅行記は附録程度に量が少ない。」と述べている。また「旅行記の方法は、自然を中心とし、自然の描写のなかに人事を織込むようにした。」とも述べられている〔同書175ページ 金子自身の跋文〕。本紀行で言及される人物には、現地で働くマレー人、華僑を始め、娼家で働く日本人女性までさまざまである。以下、中心となるゴム園と石原鉱山についてみる。ゴム園については、三五公司のゴム園について多くの記述が割かれている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マレー蘭印紀行」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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