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マーカス・ライト : ミニ英和和英辞書
マーカス・ライト[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

マーカス・ライト : ウィキペディア日本語版
マーカス・ライト[ちょうおん]

マーカス・ライトMarcus Snowell "Marc" Wright1890年4月21日- 1975年8月5日)は、アメリカ合衆国の元陸上競技選手である。1912年に開催されたストックホルムオリンピックの棒高跳で、銀メダルを獲得した。
== 経歴 ==
ストックホルムオリンピックのアメリカ国内最終予選で、ライトは当時の世界最高記録4m15cmを跳んで史上初の4m台ジャンパーとなり、アメリカ代表に選出された〔Athletics at the 1912 Stockholm Summer Games:Men's Pole Vault 2012年5月4日閲覧。〕。世界記録を保持していたにもかかわらず、主催の選手権での優勝経験はなく、1912年の4位タイと1913年の2位タイが目立つ程度の成績だった。
ストックホルムオリンピックの棒高跳は、1912年7月10日(予選)、7月11日(決勝)の日程で実施された。11の国から出場した25人の選手は2つの組に分けられ、予選通過基準3m65cmの跳躍に挑んだ。予選2組に出場したライトは、3m65cmで1回失敗したものの、2回目の跳躍を成功して決勝に進んだ〔Athletics at the 1912 Stockholm Summer Games:Men's Pole Vault Qualifying Round 2012年5月4日閲覧。〕。
翌日の決勝には、予選を勝ち残った11人の選手が出場した。決勝は3m40cmから始まり、これは全員が成功した。3m50cmの試技で1名が脱落し、当時のオリンピック記録に並ぶ3m75cmでさらに3名が脱落した。3m80cmでまた1名脱落し、勝負は3m85cmまで進んだ。ここでカナダ代表ウィリアム・ハルペニー肋骨を2本折ってしまい、担架に乗せられてフィールドから去って行った〔William Halpenny Olympics at Sports-Reference.com 2011年8月21日閲覧。 〕。3m85cmの跳躍に成功したのは、いずれもアメリカ代表のハリー・バブコックフランク・ネルソン、ライトの3人であった。バーの高さは3m95cmに上がり、バブコックだけが跳躍に成功して金メダルを獲得し、ネルソンとライトが銀メダル、ハルペニーを含む3m80cmの跳躍成功者3人が銅メダルを獲得することになった〔〔Athletics at the 1912 Stockholm Summer Games:Men's Pole Vault Final Round 2012年5月4日閲覧。〕。
ライトはダートマス大学を1913年に卒業した〔Olympians-DartmouthSports.com 2012年5月4日閲覧。〕。1912年7月8日から1920年8月20日まで棒高跳の世界記録を保持していた〔 2012年4月22日閲覧。〕が、1975年にはマサチューセッツ州リーディングで死去した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マーカス・ライト」の詳細全文を読む




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