|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ 難 : [なん] 1. (n,n-suf) difficulty 2. hardships 3. defect ・ 難民 : [なんみん] 【名詞】 1. refugees ・ 民 : [たみ] 【名詞】 1. nation 2. people
ミャンマー難民とは、軍事政権下にあったミャンマー連邦内の民族紛争を原因とし、国外に流出し難民化した人々のこと。狭義の政治難民として認定されている場合とされていない場合がある。 == 概説 == 19世紀初頭から、英国によって徐々に浸食されたビルマは、上ビルマと下ビルマに分離し、下ビルマは英国の支配圏となった。1885年、英軍の進撃で首都マンダレーが陥落させられ、上ビルマを併合した英領ビルマは1897年に英領インドの一州に編入させられた。この上下ビルマ統合以後に執られた統治政策の民族の怨讐が、現在の難民流出と不可分に結びついている。英領ビルマではキリスト教と西洋式教育を受容したカレン族を官吏や武装警察に起用し、マジョリティであったビルマ族を下位に引き下げ、ヒエラルキーを逆転させることでその対立構造を醸成させた。 第二次世界大戦中、インド攻略を狙う日本の南機関に育成されたタキン党員から成るBIA(ビルマ独立義勇軍)は、イギリス当局から権力を奪い手中に収めた。1945年にアウン・サンらが組織した「パサパラ(反ファシスト人民自由連盟)」が抗日蜂起し、1948年に「ビルマ連邦」として完全独立に至る。しかし、翌年にはカレン族が独立闘争を本格化させると内戦状態に陥った。1962年のネ・ウィンによるクーデターで議会制民主主義から社会主義へと移行すると、不満が募る他のエスニック集団も各々蜂起したが、軍部の力に抗えず徐々に周辺諸国へ難民化していった。 現在のミャンマー難民のうち、東部に暮らすカレン、カレンニー系の人々の多くは居住区域に隣接するタイへ流出しており、国境沿いに敷設された9箇所の難民キャンプで10万超の人々が保護を受けている。西部に暮らすロヒンギャ系の人々は、陸路の場合バングラデシュへ、海路の場合マレーシア、インドネシア、タイなどへ、空路ではサウジアラビアやUAEなどのイスラム国家へ避難している。NCGUBの報告によれば、地理上の理由から、チン州からでインドへ難民化したグループやカチン州から中国へ避難したグループも存在するという。 タイにおける支援にあたっては、CCSDPT(The Committee for Coordination of Services to Displaced Persons in Thailand)が19のNGOからなるネットワーキングを作っている他、UNHCRも現地事務所を構え、対応している。日本のNGOでは、シャンティ国際ボランティア会が、図書館事業を展開している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ミャンマー難民」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|