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ヤックス・スペックス
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ヤックス・スペックス
ヤックス・スペックス(Jacques Specx、1585年 ドルトレヒト - 1652年7月22日アムステルダム)は、オランダの商人で、1609年に平戸にオランダ商館を設立し初代(及び第3代)の商館長となった人物〔http://www.city.hirado.nagasaki.jp/english/history/historycontent.htm〕〔http://www.koreanhistoryproject.org/Ket/C14/E1403.htm〕。1629年から1632年にかけて、バタヴィアにおいてオランダ領東インドの総督を務めたが、そこで娘のサラのスキャンダルに巻き込まれている。オランダ帰国後は絵画の収集家となった。 == 家康の交易要請 == 1600年(慶長5年)、オランダ船リーフデ号が豊後に漂着し、その乗組員は徳川家康に保護された。家康は海外貿易に熱心であり、1604年に朱印船制度を実施した。さらに1605年には、平戸藩初代藩主であった松浦鎮信が新造した朱印船で、リーフデ号の船長であったヤコブ・クワッケルナックと乗員のメルキオール・ファン・サントフォールトにオランダ総督マウリッツに宛てた親書を持たせ、オランダ東インド会社の交易拠点であるパタニ(マレー半島)へと派遣した。しかしながら、オランダ東インド会社は1602年に設立されていたものの、ポルトガルとの競争が激しく、直ちに日本との貿易を開始する余力はなかった。 当時オランダ本国はスペインに対する独立戦争を行っていたが、1608年にはイギリス・フランスの仲裁で勢力の現状維持を前提とした休戦交渉が開始された。このため、東インド会社は交渉成立以前に「現状」を拡大することが得策と考え、アジア地域の艦隊司令であったピーテル・ウィレムスゾーン・フルフーフ(Pieter Willemsz. Verhoeff)に可能な限り交易地域を拡大するように指令した。この指令に従い、1609年フルフーフは平戸に向かった〔長崎県文化資料報告 日蘭関係資料 第一章 江戸時代のオランダ船貿易 〕。スペックスもこの一員に加わった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヤックス・スペックス」の詳細全文を読む
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