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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ヤマニンアピールは日本の競走馬である。障害競走で活躍し、1988年にJRA賞最優秀障害馬に選出された。半妹にサンスポ賞4歳牝馬特別優勝馬ヤマニンマリーン(父カツラギエース)がいる。他にも近親にはヤマニングローバルなど。 == 略歴 == 1985年7月の新馬戦でデビューし6着。その後もなかなか勝てず、デビューから15戦目の1986年6月の未勝利戦でようやく初勝利を挙げた。結局その後平地競走では1勝もできず、1987年9月の400万条件で8着に敗れたのを最後に障害競走へと転向した。平地競走での成績は23戦1勝。 転向初戦の障害未勝利では後に京都大障害(秋)に優勝するカルストンファストの2着に敗れるが、次走で2着馬に2.4秒差の大差で圧勝し、障害競走初勝利を挙げた。障害400万条件2着の後、続いて出走した400万条件ではレコードで大差勝ちを収めた。 1988年は1月の障害オープンから始動し2着に敗れるが、その後は連勝街道を驀進。障害オープン勝利を挟んで挑んだ阪神障害ステークス(春)で先団から直線で逃げたカルストンイーデンを差しきって障害重賞初制覇。その後も障害オープンに勝って臨んだ京都大障害(春)でも道中は後方からレースを進め、最終第2コーナーから進出すると、直線入口でカルストンイーデンを捕らえて重賞2勝目を挙げた。 秋シーズンは京都競馬場の障害オープンから始動。ここも勝利して連勝を5に伸ばすと、続く京都大障害(秋)ではスタンド前の大生垣の飛越で逃げていたリープハーバコブラを抜いて先頭に立ち、最終障害を越えて並びかけてきたイブキライダーを突き放し、5馬身の差で京都大障害春秋連覇を達成した。そして中山大障害(秋)では単枠指定、単勝1.5倍の圧倒的な人気となった。レースでは道中2、3番手を追走、大生垣で躓いたが立て直し、最後の3号坂路で先頭のカルストンイーデンに並びかけ、直線でこれに1馬身3/4の差をつけて7連勝で中山大障害に優勝した。この活躍によって1988年の最優秀障害馬に選出された。その後繋靭帯炎を発症し、引退。 障害競走転向後は12戦9勝2着3回で連対率は100%であり、ほぼ完璧な成績を残した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヤマニンアピール」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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