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ヤマニ洋行(ヤマニようこう、1920年代 設立 - 1933年 活動停止)は、かつて存在した日本の映画配給会社である。メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)の日本支社のない時代に同社作品を日本に紹介し、のちに『裁かるゝジャンヌ』や『カメラを持った男』といったヨーロッパ映画を戦前の日本に紹介した映画会社として知られる。 == 略歴・概要 == 遅くとも1920年代には設立されている。1926年(大正15年)には、東京市京橋区三十間堀2丁目1番地(現在の東京都中央区銀座2丁目8番地近辺)に所在した〔『映画年鑑 大正十五年版』、1926年、手形広告ページ。〕。1924年(大正13年)に合併・設立されたアメリカのメトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)の輸入代理店を務め、同社の作品の日本への輸入配給業務を行なった〔モダニズムの成立 、小松弘、早稲田大学、2010年6月27日閲覧。〕。『映画年鑑 大正十五年版』(1926年)に広告を打ち、同年、MGMの『奇蹟の薔薇』、『キートンの栃面棒』(『セブン・チヤンス』)、『グリード』を公開することを謳う〔。同年12月22日には、朝鮮キネマ製作、羅雲奎監督・主演作 『アリラン』を公開すべく、配給元として検閲を受けた記録がある〔アリラン 、日本映画データベース、2010年6月27日閲覧。〕。 1928年(昭和3年)6月15日、『踊る英雄』を公開したのを最後にMGM作品から離れ〔『20世紀アメリカ映画事典』、編・畑暉男、カタログハウス、2002年4月、ISBN 4905943507, p.411.〕、MGMは同年9月、日本支社を設けている〔『映画五十年史』、筈見恒夫、創元社、1951年、p.220.〕。同年、ポヴァティ・ロウの1社ティファニー・ピクチャーズ(ティファニー・スタール・プロダクションズ)製作の『ワイルド・ギーズ』といった作品の日本への紹介を手がける〔『20世紀アメリカ映画事典』、p.418.〕。その後はマルセル・レルビエ監督の『バラライカ』等、フランス映画の輸入配給を行ない、1929年(昭和4年)には、カール・テオドア・ドライヤー監督の『裁かるゝジャンヌ』を公開している〔『日本映画発達史 II 無声からトーキーへ』、田中純一郎、中公文庫、1976年1月10日 ISBN 4122002966, p.210.〕。 1930年(昭和5年)、ドノゲー商会と配給提携し、ワーナー・ブラザーズのサイレント作品の輸入を手がける。 1932年(昭和7年)には、ジガ・ヴェルトフ監督の『カメラを持った男』を『これがロシヤだ』のタイトルで公開する等、3作のソビエト映画を日本に紹介している。1933年(昭和8年)8月24日、ドキュメンタリー映画『海底』を公開した以降の配給作品記録は見当たらない〔『20世紀アメリカ映画事典』、p.566.〕〔ヤマニ洋行 、キネマ旬報映画データベース、2010年6月27日閲覧。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヤマニ洋行」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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