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ヤマノブリザード : ミニ英和和英辞書
ヤマノブリザード[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ブリザード : [ぶりざーど]
 (n) blizzard, (n) blizzard
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ヤマノブリザード : ウィキペディア日本語版
ヤマノブリザード[ちょうおん]

ヤマノブリザード日本競走馬。おもな勝鞍は札幌2歳ステークスJRAGIII) 、九州大賞典
== 戦績 ==
2001年ホッカイドウ競馬でデビュー。JRA2歳認定競走であるフレッシュチャレンジ(札幌競馬場地方競馬開催)にて初出走初勝利。その後、3戦目のターフチャレンジ1(3着・旭川競馬場)でクローバー賞の優先出走権を得たため中央競馬 (JRA) へ挑戦し、8番人気ながらクローバー賞を勝利。続く札幌2歳ステークスも勝利し、暮れの朝日杯フューチュリティステークスへの優先出走権を得る。その後、門別競馬場で1走し中央へ移籍。移籍初戦の朝日杯フューチュリティステークスでは惜しくも2着。1着はアドマイヤドンであった。
2002年からは苦難の道を辿ることとなる。クラシック路線を歩んだが、皐月賞東京優駿(日本ダービー)菊花賞に出走するも、それぞれ10着、9着、9着と敗退する。結局、この年は未勝利に終わった。
2003年も勝ち星に恵まれず、2004年のエイプリルステークスで1年6ヶ月振りの勝利を手にする。その後も低迷の一途を辿り、障害競走に出走したこともあった(2005年3月20日、障害未勝利戦(10着))。
2006年2月の白富士ステークスを最後に、佐賀競馬場へ移籍する。移籍先の川田孝好調教師は、JRAの川田将雅騎手の父親である。4月の転入初戦を8馬身差で圧勝、5月の2戦目も勝ちと連勝した。その後はダートグレード競走を転戦したりするものの、なかなか勝てずにいたが地元に戻ると11月九州大賞典(佐賀競馬場)を勝利した。その後、調教中に屈腱炎を発症したため放牧に出されていたが、2007年10月に放牧先の牧場で腸ねん転を起こし死亡した。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヤマノブリザード」の詳細全文を読む




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