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XTZ750スーパーテネレ(XTZ750SuperTénéré、エックスティーゼットななひゃくごじゅうスーパーテネレ)は、ヤマハ発動機が1989年に発売した日本国外向けオートバイである。 車名はダカール・ラリーの難所であるテネレ砂漠に由来する。 ==概要== 外観はラリーレイドに出場するためのマシンを彷彿とさせるが、出自はむしろ逆で、ラリーレイドに出場するためにこのマシンのエンジンが用意され、同時にそのイメージをまとった市販車を開発したものである。直接の開発動機は、ダカール・ラリーの人気にあやかったラリーレイドイメージの市販車の販売である。 1987年から、市販車・スーパーテネレの開発が始まる。当初は水冷単気筒エンジンのツーリングマシンとして開発が進んでいたが、テストをはじめたというころに上層部から「ラリーで勝てるバイクを」との指示があり、マシンの方向性を改めるとともに、エンジンも2気筒に決まる。V型2気筒も検討の俎上に上がったが、重量的にも重心的にも並列二気筒が有利ということ、またV型は前後長が長くなるためにホイールベースも伸びてしまうことから、並列2気筒に決定された。 この、前後長を詰めることは重要な題材となっており、そのために、通常はクランク軸とドライブ軸は同じ高さにあるが、あえて組み立ての煩雑さを厭わずにクランク軸を下げ、前傾エンジンながら直立エンジン並の前後長に収めている。そのころの二輪の開発予算の3分の1を使うほどの投資をしている。既にダカール・ラリーを制覇し、市販車も存在したアフリカツインは当然ライバルとして見られており、それよりも高性能をということを目標に掲げて開発が進められた。 1989年、XTZ750スーパーテネレが市販車としてリリースされるや、欧州で絶大な人気を獲得した。翌1990年、市販車をベースにしたレース用マシンでダカール・ラリーに参戦して2位を獲得、1991年にはついに優勝を果たす。以後、1998年まで、実際には市販車とはかけ離れたレース用マシンながらも「スーパーテネレ」の名前をつけて参戦し、優勝を重ねたが、既にラリーレイドイメージのマシンの販売は縮小傾向にあり、1996年にはXTZ750スーパーテネレの販売は中止された。 登録台数は、欧州では36,902台(1989〜1998)、日本では584台(1990〜1997)であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヤマハ・XTZ750スーパーテネレ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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