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ヤマハ・ファクトリー・レーシング : ミニ英和和英辞書
ヤマハ・ファクトリー・レーシング[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ヤマハ・ファクトリー・レーシング ( リダイレクト:ヤマハ・モーター・レーシング ) : ウィキペディア日本語版
ヤマハ・モーター・レーシング[ちょうおん]

ヤマハ・モーター・レーシング ( Yamaha Motor Racing S.r.l. ) 、ヤマハ・ファクトリー・レーシングロードレース世界選手権のMotoGPクラスでワークス・チームを運営するヤマハの子会社〔http://www.yamaha-motor.co.jp/profile/group/europe/index.html〕。シーズンよりモビスター・ヤマハ・モトGPの名前で参戦している。
==チームの経歴==
シーズンまで "チーム・レイニー" として2年間ワークスサポートを受け500ccクラスに参戦していたウェイン・レイニーが監督業を引退・チームを解散したことに伴い、新たなワークス・チーム運営のためにに設立された。当初チームの本拠地はオランダに置かれたが、にイタリアに移転する。
初年度の1999年からまでは、マックス・ビアッジカルロス・チェカをライダーにシリーズを戦った。当初はYZR500、2002年はYZR-M1を駆ったビアッジは、在籍中に通算9勝を挙げた。
には、ビアッジに代わりマルコ・メランドリがチェカのチームメイトとなる。この年チームは勝利も表彰台も得ることが出来なかった。
はメランドリに代わりバレンティーノ・ロッシが加入すると、シーズン9勝を挙げMotoGPクラス初チャンピオンをチームにもたらす。
にはロッシのチームメイトにコーリン・エドワーズが加入。この年もロッシはシーズン11勝という圧倒的な強さでチャンピオンシップを連覇する。
は両ライダーともチームに残留する。ロッシは5勝・シリーズ2位でシーズンを終えた。
もライダーに変更はなく、新しい800cc仕様のYZR-M1でシーズンを戦った。ロッシはシーズン4勝・シリーズ3位に終わった。
エドワーズに代わりルーキーのホルヘ・ロレンソが加入したシーズン、チームはユニークな体制を取ることになった。ロッシ車がブリヂストンタイヤ、ロレンソ車がミシュランタイヤを履くため、互いのタイヤメーカーの機密保持のため、2人は壁で隔てられた別々のピットを使用することになった。しかしエントリー上は単一の "フィアット・ヤマハ" としてチームタイトルを目指すかたちとなった。ロッシは18戦中9勝、残り9戦のうち7戦で表彰台を獲得する圧倒的な強さでチャンピオンに返り咲く。一方のロレンソもルーキーとは思えないほどの活躍を見せ、第3戦エストリルで早くも初優勝を収めた。
シーズンはライダーのラインナップに変更はなかった。MotoGPクラスのタイヤ供給体制がブリヂストンのワンメイクに変わり、チーム分断の必要はなくなったが、前年の体制がうまくいったことから引き続き「壁」を設置することになった。ロッシとロレンソは激しいタイトル争いを展開したが、最終的にはロッシが競り勝って2年連続チャンピオンを獲得、ロレンソはシリーズ2位となった。
もロッシ・ロレンソの体制を維持して臨んだ。ロレンソが18戦中9勝を遂げ、圧倒的な強さで初のチャンピオンを獲得、チームとコンストラクター部門合わせての3冠タイトル3連覇を達成した。ロッシは第4戦イタリアGP脛骨開放骨折の重傷を負い4レースを欠場、復帰後も開幕前に負った肩の怪我に苦しみ、シーズン2勝でシリーズ3位に留まった。ロッシの欠場中、第7戦カタルニアGPにのみ開発ライダーの吉川和多留が代役参戦した。
シーズンは7年間在籍したロッシがドゥカティワークスに移り、後釜としてベン・スピーズがチームに加入する〔http://www.motogp.com/ja/news/2010/Yamaha+confirm+Spies+for+factory+team+in+2011〕。ロレンソは3勝を挙げたがシリーズ2位にとどまり、スピーズは第7戦オランダGPで初優勝しシリーズ5位となった。なおシーズン終盤にケガをしたロレンソの代役として中須賀克行が第17・18戦に参戦し第18戦バレンシアGPで6位入賞した。
シーズンもロレンソ、スピーズのコンビで継続。このシーズンロレンソはシーズン5勝と優勝回数こそホンダのペドロサに劣るも(ポールポジション4回、リタイヤ2回はペドロサと同数)それ以外は全て2位という安定してポイントを稼ぎ王者奪還に成功した。(ちなみにペドロサは優勝以外は2位、3位4回、4位1回だった)
一方スピーズは前年から一転最高が4位2回、未勝利という苦しいシーズンとなりランキング10位に終わった。
なお最終戦バレンシアGPではスピーズに代わり前年と同じく中須賀が参戦、予選16番手から2位表彰台を獲得した。
シーズンは移籍したスピーズに代わり3年ぶりにロッシが復帰、ロレンソとコンビを組んだ。
開幕戦カタールGPではロレンソ、ロッシが1-2フィニッシュを決める。ロッシはこの2位入賞で表彰台獲得回数177とし史上最多記録を更新した。ロレンソは鎖骨骨折など負傷に悩まされるものの年間最多の8勝を挙げランキング2位、ロッシはオランダGPの1勝のみであったが上位入賞を続けランキング4位となった。
シーズンはタイトルスポンサーにモビスターが付きチーム名がモビスター・ヤマハ・モトGPとなった。ファクトリークラスを選択したため燃料容量や年間のエンジン基数など様々な制限を受ける事となったが、オープンクラスに対しては優位性を保ち続けた。前年と同じロッシとロレンソのコンビで臨み、ロッシとロレンソがそれぞれ2勝ずつのシーズン4勝を挙げ年間ランキングはロッシが2位、ロレンソが3位となった。
シーズンは前年と同様の体制での参戦となった。昨年マシンの弱点であったプレーキング等に改善が図られライバルホンダの不調も有りシリーズを優位に進め、ロッシとロレンソが最終戦までタイトルを争う事となる。結果ロレンソが7勝を挙げチャンピオンを獲得、ロッシは15回の表彰台を含む4勝でランキング2位となり、通算5回目となるチーム、ライダー、コンストラクターのMotoGP3冠に輝いた。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヤマハ・モーター・レーシング」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Yamaha Motor Racing 」があります。




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