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ヤルタ
【名詞】 1. Yalta 2. (n) Yalta・ ヤルタ : [やるた] 【名詞】 1. Yalta 2. (n) Yalta
ヤルタ(、、)はクリミアの都市。クリミア半島南端に位置し黒海に臨む。「ヤルタ」の語源は、「岸辺」を意味する語。古代ギリシア人たちによって開かれた町であり、上陸に際して安全な岸( / ''yalos'' )を求めたギリシャの船乗りによって築かれたといわれている。南に黒海と接し、森林に取り囲まれている。温暖な地中海性気候であり、現在は、黒海沿岸では屈指の保養地として知られている。1945年にヤルタ会談が行われた場所としても有名である。 「大ヤルタ」の語は、ヤルタを含むクリミア半島南部のからにいたる海岸を指し示している。 == 歴史 == === 12世紀-19世紀 === ヤルタの存在を初めて記録したのは12世紀のアラブ人の地学者で、それによると、町をビザンティン帝国の港と漁業の町として記している。14世紀にヤルタはジェノヴァの商人の居住地としてこの地方における交易のネットワークの一部に組み込まれ、エタリタ(Etalita)あるいはガリタ(Galita)と呼ばれた。クリミア半島は1475年にオスマン帝国に征服され、オスマン帝国の半独立的な属国であるクリミア・ハン国の領域に組み込まれた。しかしヤルタを含む南岸部はケフェ州(Eyalet)としてオスマン帝国の直轄領とされた。ヤルタは1783年、他のクリミア半島地方とともにロシア帝国に併合され、露土戦争の引き金となった。クリミア半島の併合に先立つ1778年、クリミアのギリシャ人たちはマリウポリに移動した。同地でギリシャ人が建設した村もヤルタ()と呼ばれる。 19世紀には、町はロシアの貴族や上流階級の人々のための高級リゾート地となった。作家のレフ・トルストイやアントン・チェーホフらはヤルタで夏を過ごした。アントン・チェーホフは1899年から1904年までヤルタに住み、この地で『三人姉妹』『桜の園』などを書いた。ヤルタはチェーホフの短編小説「犬を連れた奥さん」の舞台ともなっている。町はまたロシアの皇族とも深いつながりを持っている。1889年、ロシアの皇帝アレクサンドル3世はヤルタの北にマサンドラ宮殿を建設し、1911年にはニコライ2世が南西にリヴァディア宮殿を建設した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヤルタ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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