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ヤルタ会談(ヤルタかいだん、)は、1945年2月4日~11日に当時のソ連クリミア自治ソビエト社会主義共和国のヤルタ近郊で行われたアメリカ、イギリス、ソ連による首脳会談。 第二次世界大戦が佳境に入る中、ソ連対日参戦、国際連合の設立について協議されたほかドイツおよび中部・東部ヨーロッパにおける米ソの利害を調整することで大戦後の国際秩序を規定し、東西冷戦の端緒ともなった(ヤルタ体制)。 == 概要 == 1945年1月にポーランドを占領したソ連軍(赤軍)がドイツ国境付近に達しつつあり、西部戦線においてはアメリカ・イギリス等の連合軍がライン川に迫る情勢のもと、連合国の主要3カ国首脳の会談が行われた。会談の結果、第二次世界大戦後の処理についてヤルタ協定を結び、イギリス・アメリカ・フランス・ソ連の4カ国によるドイツの分割統治やポーランドの国境策定、エストニア、ラトビア、リトアニアのバルト三国の処遇などの東欧諸国の戦後処理が取り決められた。 併せてアメリカとソ連の間でヤルタ秘密協定を締結し、ドイツ敗戦後90日後のソ連の対日参戦および千島列島、樺太などの日本領土の処遇も決定し、現在も続く北方領土問題の端緒となった。 また、戦後の発足が議論されていた国際連合の投票方式について、イギリス・アメリカ・フランス・中華民国・ソ連の5カ国(後の国際連合常任理事国メンバー)の拒否権を認めたのもこの会談であった。 会談が行われたクリミア半島は、当時はソ連構成国であるロシア共和国の領土であり(現ウクライナ領)、ヤルタは半島の南端、黒海を臨むソ連随一のリゾート地であった。会場となったリヴァディア宮殿はロシア皇帝ニコライ2世の別荘(離宮)として建造されたものである。 なお、この会議に先だつ同年1月30日から2月3日にかけ、ルーズベルト大統領とチャーチル首相はマルタ島において会談を行っている(マルタ会談 (1945年))。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヤルタ会談」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Yalta Conference 」があります。 スポンサード リンク
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