翻訳と辞書 |
ヤン・ソビエパン・ザモイスキ : ミニ英和和英辞書 | ヤン・ソビエパン・ザモイスキ
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。
ヤン・ソビエパン・ザモイスキ : ウィキペディア日本語版 | ヤン・ソビエパン・ザモイスキ
ヤン・"ソビェパン"・ザモイスキ(ポーランド語表記:Jan "Sobiepan" Zamoyski,1627年 - 1665年4月2日)は、ポーランド・リトアニア共和国の大貴族(マグナート)。大法官として権勢を振るったヤン・ザモイスキの孫で、ザモシチの第3代オルディナト。 1637年よりポドレ総代官、1653年より王冠領クライチィ官(肉切分け係)、1655年より王冠領副酒膳官を務めた。また1658年よりキエフ県知事、1659年よりサンドミェシュ県知事に任じられ、カウシュとロストキの代官でもあった。あだ名のソビェパンは「自分自身の主人」という意味で、「大洪水」の時にスウェーデン人がザモイスキの支配するザモシチの要塞を攻め、さらに要塞の明け渡しを迫ってきたとき、「私は自分自身の主人であるから、ザモシチをスウェーデン人に明け渡すつもりは毛頭ない」と返答したことにちなむものである。 彼はヤン2世カジミェシュのフランス出身の王妃ルドヴィーカ・マリア・ゴンザーガの侍女マリー・カジミール・ド・ラ・グランジュ・ダルキアン(マリア・カジミェラ)と結婚したが、あいだに生まれた4人の子供たちは全て生まれてすぐに死ぬか、死産だった。ヤンの死後、妹の息子にあたるミハウ・コリブト・ヴィシニョヴィエツキが国王に選出されている。またミハウの死後に王位についたのは、マリア・カジミェラの再婚相手ヤン・ソビェスキだった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヤン・ソビエパン・ザモイスキ」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|