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ユリシーズ : よみがなを同じくする語

ULYSSES (アルバム)
ユリシーズ : ミニ英和和英辞書
ユリシーズ[ゆりしーず]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ユリシーズ : ウィキペディア日本語版
ユリシーズ[ゆりしーず]

ユリシーズ』(''Ulysses'' )は、アイルランドの作家ジェイムズ・ジョイスの小説。当初アメリカの雑誌『リトル・レビュー』1918年3月号から1920年12月号にかけて一部が連載され、その後1922年2月2日パリシェイクスピア・アンド・カンパニー書店から完全な形で出版された。20世紀前半のモダニズム文学におけるもっとも重要な作品の一つであり、プルーストの『失われた時を求めて』とともに20世紀を代表する小説とみなされている〔篠田一士二十世紀の十大小説』 新潮社、1988年、349-350頁〕〔1998年、は『ユリシーズ』を20世紀に書かれた英語の小説ベスト100の筆頭に位置づけた〕。
物語は冴えない中年の広告取りレオポルド・ブルームを中心に、ダブリンのある一日(1904年6月16日)を多種多様な文体を使って詳細に記録している。タイトルの『ユリシーズ』はオデュッセウスのラテン語形の英語化であり、18の章からなる物語全体の構成はホメロスの『オデュッセイア』との対応関係を持っている。例えば、英雄オデュッセウスは冴えない中年男ブルームに、息子テレマコスは作家志望の青年スティーヴンに、貞淑な妻ペネロペイアは浮気妻モリーに、20年にわたる辛苦の旅路はたった一日の出来事にそれぞれ置き換えられる。また、ダブリンの街を克明に記述しているため、ジョイスは「たとえダブリンが滅んでも、『ユリシーズ』があれば再現できる」と語ったという〔Adams, David. ''Colonial Odysseys: Empire and Epic in the Modernist Novel''. Cornell University Press, 2003, p. 84.〕。
意識の流れの技法、入念な作品構成、夥しい数の駄洒落・パロディ引用などを含む実験的な文章、豊富な人物造形と幅広いユーモアなどによって、『ユリシーズ』はエズラ・パウンドT・S・エリオットといったモダニストたちから大きな賞賛を受ける一方、初期の猥褻裁判をはじめとする数多くの反発と詮索とをも呼び起こした。
== 執筆背景 ==
ジョイスがはじめてホメロスの『オデュッセイア』に出会ったのは、チャールズ・ラムの子供向けの再話である『ユリシーズの冒険』を介してであり、この作品によってオデュッセウスのラテン名「ユリシーズ」が彼の記憶に刻まれたものと見られる。学生時代には、ジョイスは「私の好きな英雄」と題した作文でオデュッセウスを取り上げている〔Gorman, Herbert (1939). James Joyce: A Definitive Biography , p. 45.〕。『ユリシーズ』執筆中の時期には、友人のフランク・バッジェンに対して「文芸上の唯一のオールラウンド・キャラクター」は、キリストでもファウストでもハムレットでもなくオデュッセウスだと力説している〔エルマン、543-544頁〕。
ジョイスが『ユリシーズ』と題した作品を書こうと思い立ったのは、1906年であり、実在するダブリン市民ハンターをモデルとした短編として『ダブリン市民』に収めるつもりであったが、これは構想だけで筆が進まず頓挫した〔ファーグノリ+ギレスピー、468頁〕。また、ジョイスは、『ダブリン市民』を執筆中、この連作集のタイトルを『ダブリンのユリシーズ』にすることも考えていたと述べている〔エルマン、523頁〕。その後、『若き芸術家の肖像』を半分ほど書き上げた頃、『オデュッセイア』がその続きとなるべきだと考え〔、1914年末から1915年初頭頃に『ユリシーズ』に着手した〔。
ジョイスは、作品の全体像を最初から持っていたわけではなく、ある程度書き進めながら着想を掴んでいった。1915年6月の段階では、22の挿話で構成することが考えられていたが、その後17に減り、最終的に18に落ち着いた〔エルマン、414頁〕。作品の舞台はダブリンであるが、執筆の場はチューリヒであり、1920年からは住居をパリに移し、1922年の最初の刊本印刷の間際まで入念な推敲が続けられた〔結城、48頁〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ユリシーズ」の詳細全文を読む




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