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ユーリー・フョードロヴィチ・ファイエル(、 Yuri Fyodorovich Faier、1890年1月17日(ユリウス暦1月5日) キエフ - 1971年8月3日 モスクワ)はソビエト連邦の指揮者。ソ連人民芸術家(1951年授与)。スターリン賞受賞者。バレエ指揮者として知られた。 == 概要 == 1906年にキエフの音楽学校を卒業し、ヴァイオリニストとしていくつかのオーケストラに所属、1909年から1910年の間はリガ歌劇場でコンサートマスター及び指揮者として、1914年から1915年の間はジミーン・オペラ劇場でヴァイオリニストとして活動した。1917年、モスクワ音楽院に入学し、ヴァイオリンをゲオルギー・ドゥロフに師事する(1919年卒業)。また、ヴァイオリニスト、作曲家でボリショイ劇場のバレエ指揮者として活躍したアンドレイ・アレントス(1855年 - 1924年)に指揮法を学んでいる。1916年にボリショイ劇場のコンサートマスターとなり、1919年に、ドリーブの『コッペリア』を指揮して同劇場での指揮者としてのデビューを果たした。1923年から1963年までの40年間にわたり常任指揮者として活躍し、作曲家、振付師とともに優れた舞台を作り出し、ボリショイ・バレエの黄金期を築き上げた。 バレエのレパートリーは50曲以上に及び、そのうちの多くがボリショイ劇場初演作品であった。主なレパートリーのうち同時代のソ連作曲家の作品には、グリエールの『赤いけしの花』〔1927年、ボリショイ劇場における初演指揮を担当。〕、『青銅の騎士』、アサフィエフの『バフチサライの泉』、『パリの炎』、プロコフィエフの『ロメオとジュリエット』〔1940年、レニングラードキーロフ歌劇場におけるソ連初演指揮を担当。〕、『シンデレラ』〔1945年、ボリショイ劇場における初演指揮を担当。〕、『石の花』〔1954年、ボリショイ劇場における初演指揮を担当。〕、ハチャトゥリアンの『ガイーヌ』、『スパルタクス』、ショスタコーヴィチの『明るい小川』などがある。 メロディアに残された録音もバレエ作品が多く、ドリーブの『コッペリア』、チャイコフスキーの『白鳥の湖』、グラズノフの『ライモンダ』、『お嬢さん女中(恋愛合戦)』、グリエールの『赤いけしの花』、『青銅の騎士』などがある。 1937年にロシア連邦共和国人民芸術家、1951年にソ連人民芸術家の称号を授与された他、4度にわたりスターリン賞を受賞している。 *1941年:スターリン賞第2席 高い水準のバレエ上演に対して *1946年:スターリン賞第1席 バレエ『シンデレラ』上演に対して *1947年:スターリン賞第1席 バレエ『ロメオとジュリエット』上演に対して *1950年:スターリン賞第2席 バレエ『赤いけしの花』上演に対して 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ユーリー・ファイエル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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