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ユーロビジョン・ソング・コンテスト2008(英語:、フランス語:)は、第53回のユーロビジョン・ソング・コンテストである。前年に行われたユーロビジョン・ソング・コンテスト2007でセルビア代表のマリヤ・シェリフォヴィッチが優勝したことにより本大会はセルビアが主催権を獲得し、同国首都のベオグラードで開催された。会場となったのは2万人以上が収容可能なベオグラード・アリーナで、準決勝は2008年5月20日および22日、決勝は5月24日に行われた。司会を務めたのはヨヴァナ・ヤンコヴィッチ(Jovana Janković)とジェリコ・ヨクシモヴィッチで、主催放送事業者はセルビア国営放送(RTS)である。 ロシア代表のジーマ・ビラーンの楽曲で本人とジム・ビーンズ(Jim Beanz)の制作による「Believe」が272得点を得て首位となり、ロシアにユーロビジョン・ソング・コンテスト初優勝をもたらした。 以下、ウクライナが2位、ギリシャが3位、アルメニアが4位、ノルウェーが5位となった。 2008年大会はまた、史上初めて公式サイトEurovision.tvにて、各国の放送事業者の許可を得てそれぞれの国内選考の決勝が中継された。 2008年1月30日、Eurovision.tvにて、「The Confluence of Sound」が本大会のテーマとして発表された。これは、主催地ベオグラードがドナウ川とサヴァ川の合流(Confluence)地点である事実に着想を得たものであった。 == 会場 == フィンランドのヘルシンキで行われたユーロビジョン・ソング・コンテスト2007でマリヤ・シェリフォヴィッチが優勝したことにより、セルビアは2008年大会の主催権を獲得した。会場には首都ベオグラードにあるベオグラード・アリーナが選ばれた。同アリーナはヨーロッパでも最大級の屋内イベント施設であり、2万人を超える観客収容能力を有する。2007年9月14日、2007年大会の主催地ヘルシンキの市長からベオグラードの代表へ「ユーロビジョンの鍵」が引き渡される式典が行われた。この式典は2008年以降始まったものであり、前年の主催地の代表から「ユーロビジョンの鍵」が引き渡され、公式に新しい大会シーズンの幕開けとなる。 2008年2月17日にコソボがセルビアからの独立を一方的に宣言した事に伴い、ベオグラードでは暴動が発生した。欧州放送連合(EBU)は緊急に電話会議を行い、開催地の変更について協議した。2007年大会で2位であったウクライナが代替候補地のひとつとして挙がった。また、2007年大会を主催したフィンランド国営放送によりフィンランドで行うという選択肢も候補に挙がった。ギリシャのギリシャ国営放送(ERT)も、開催の用意があるとして名乗りを上げた。結局、欧州放送連合の支援の下、開催地を変更せずベオグラードとすることが決定された。セルビア政府はセルビア国営放送に対し、大会参加者と観客の安全を保証した。アルバニア、クロアチア、イスラエルの参加者代表団には特別の警護が付けられた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ユーロビジョン・ソング・コンテスト2008」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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