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ヨアヒム・フリードリヒ(Joachim Friedrich, 1546年1月27日、ベルリン - 1608年7月18日、ベルリン)は、ブランデンブルク選帝侯(在位:1598年 - 1608年)。ヨハン・ゲオルクの長男、母はレグニツァ公フリデリク2世の娘ゾフィア。バイロイト辺境伯クリスティアン、アンスバッハ辺境伯ヨアヒム・エルンストの兄。 1598年に父の後を継いで選帝侯となり、1605年からは精神を病んでいたプロイセン公アルブレヒト・フリードリヒの摂政を務めた。ヨアヒム・フリードリヒは1608年に死去するが、1618年にアルブレヒト・フリードリヒが死去した後は息子ヨハン・ジギスムントがプロイセン公国も相続することになる。 ==子女== 1570年にブランデンブルク=キュストリン辺境伯ヨハンの娘で父の従妹にあたるカタリーナと結婚し、11人の子をもうけた。 *ヨハン・ジギスムント(1572年 - 1620年) - ブランデンブルク選帝侯 *アンナ・カタリーナ(1575年 - 1612年) - デンマーク王クリスチャン4世に嫁ぐ *女(1576年) *ヨハン・ゲオルク(de, 1577年 - 1624年) - イェーゲルンドルフ(クルノフ)公 *アウグスト(de, 1580年 - 1601年) *アルベルト・フリードリヒ(de, 1582年 - 1600年) *ヨアヒム(de, 1583年 - 1600年) *エルンスト(1583年 - 1613年) *バルバラ・ゾフィア(de, 1584年 - 1636年) - ヴュルテンベルク公ヨハン・フリードリヒに嫁ぐ *女(1585年 - 1586年) *クリスティアン・ヴィルヘルム(de, 1587年 - 1665年) - マクデブルク大司教 1603年にプロイセン公アルブレヒト・フリードリヒの娘で、息子ヨハン・ジギスムントの妻アンナと弟クリスティアンの妻マリーの妹であるエレオノーレと結婚し、1女をもうけた。 *マリー・エレオノーレ(1607年 - 1675年) - プファルツ=ジンメルン公ルートヴィヒ・フィリップに嫁ぐ 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヨアヒム・フリードリヒ (ブランデンブルク選帝侯)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Joachim III Frederick, Elector of Brandenburg 」があります。 スポンサード リンク
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