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ライジングフレーム : ミニ英和和英辞書
ライジングフレーム[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ライジングフレーム : ウィキペディア日本語版
ライジングフレーム[ちょうおん]

ライジングフレーム () はアイルランド生産、イギリス調教の競走馬。引退後の1952年種牡馬として日本へ輸出され、数多くの名馬を輩出した。1958年-1960年リーディングサイアー
== 経歴 ==
競走馬時代はイギリスで走り、2歳から4歳までに6勝を挙げた。重賞勝利はないが、セントジェームズパレスステークス2着、2000ギニーダービーステークスでそれぞれ5着と好走している。引退後はイギリスで種牡馬入りしたが、翌年すぐに競走馬輸入が解禁された日本の農林水産省 によって購買された。日本到着後は軽種馬生産農業協同組合に貸与される形で静内で供用された。
当時世界的な広がりを見せていたネアルコの血が日本に持ち込まれる嚆矢となった存在であるが、種牡馬入り当初はアラブとの交配が多く、初年度の産駒には「アラブの怪物」と謳われ顕彰馬となっているセイユウや、のちにアラブの大種牡馬となるハマノオー、ホシヒカリなどを輩出し、2年目にもセイユウの全弟となるシュンエイを送り出している。サラブレッドでは1958年にヒシマサルが最良スプリンターを受賞してはいたが、しばし八大競走には縁がなく、1960年トキノキロク桜花賞を制したのが最初となった。この年には2年目産駒のオーテモンも遅咲きに天皇賞を制し、以後ミスマサコチトセホープがそれぞれ桜花賞、優駿牝馬に勝利している。
その後も八大競走の勝ち馬こそ出なかったものの、コンスタントに活躍馬を輩出し続け常に上位でリーディングサイアーを争ったが、1966年に死亡。その後ライジングフレームの父系はチャイナロックネヴァービートパーソロンテスコボーイといった新鋭種牡馬に押されて急激に衰退していった。スピード能力をよく受け継ぎ、後継種牡馬として最も有望だったかも知れないヒシマサルが早死にし、ライジングウイナー、オーテモン、インターナショナルなどの後継種牡馬の多くは成果を残せなかったりアラブ専用の種牡馬として用いられるなどし、1970年代中盤にはほぼ姿を消した。
最晩年の産駒で東京競馬場ダート2100メートルのレコードを30年近く保持していたことで知られるゴールドライジンと、ヒシマサルの孫でマルゼンスキーのライバルとして知られるヒシスピードがライジングフレーム系最後の後継馬となり、1980年代前半まで種牡馬として活動していたが、ゴールドライジンは、東北優駿不来方賞などに勝ったスーパーライジンを出した〔同馬はライジングフレーム2×3のインブリードを持っていた〕が中央競馬では1・2勝した馬を数頭出したのみ、ヒシスピードはどういう訳か産駒のほとんどが競走に耐えられない虚弱体質だったため早々に種牡馬引退、1991年に同馬の産駒であるヒシアトメ(北関東で8勝)が競走馬を引退した時点でライジングフレームの直系子孫のサラブレッド競走馬が不在となった。その後もヒシスピードは生まれ故郷の牧場で余生を送っていたが2004年に天寿を全うし、これをもってライジングフレームの父系はサラブレッドとしては完全に滅亡した。しかしその後も母の父として大きな影響力を保持し、キタノカチドキなどの活躍馬に影響を与えている。キタノカチドキの半妹ニホンピロエバートはニホンピロウイナーの母となり、その血を現代に伝えている。
その勝利数の割に八大競走の勝ち馬があまりいなかったため、同年代の大種牡馬ヒンドスタンと比較され「格のヒンドスタン、ハンデのライジングフレーム」「質のヒンドスタン、数のライジングフレーム」などといった揶揄もあったが、しかし産駒が挙げた総勝利数1379(うちサラブレッド1231)、1958年の年間勝利数176は当時の史上最多記録であり、ノーザンテーストサンデーサイレンスの出現まで30年以上に渡って保持され続けた偉大といえる数字である。当時の重賞は基本的に格の高い競走は長距離戦とされ、どちらかといえば中距離までで産駒の良績が目立つライジングフレームは時代に少し早かった感はあるが、そのスピードの血は上述したように日本の競馬に確実に影響を残している。
2000年には日本中央競馬会の広報誌『優駿』誌上で識者によって選定された「20世紀の輸入種牡馬ベスト20」にも名を連ねている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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