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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ライスシャワーは日本の競走馬。1992年の菊花賞、1993年・1995年の天皇賞(春)と中央競馬の長距離GI競走に優勝した。また、菊花賞と1993年の天皇賞(春)では、それぞれミホノブルボンのクラシック三冠、メジロマックイーンの同競走三連覇を阻止し、「刺客」などの異名を取った。主戦騎手は的場均。1995年に出走した宝塚記念の競走中に骨折、予後不良と診断され安楽死となった。同年、JRA賞特別賞を受賞。 *記事中の馬齢はすべて2000年以前に使用された旧表記(数え年)とする。 == 経歴 == === 生い立ち === 1989年3月、栗林運輸会長の栗林英雄が北海道登別市に所有するユートピア牧場に生まれる。小柄ながら健康で、近隣の牧場から訪れた人々からも体躯のバランスの良さを高く評価され、購買の申し入れもあった〔柴田(1998)p.33〕。1990年10月末には、育成調教を行うため千葉県にある分場・大東牧場に移動〔柴田(1998)p.48〕。外見では「身体の硬い馬」という印象を与えていたが、担当者によれば騎乗してみると柔らかく、「雲の上に乗っているような気分だった」という〔柴田(1998)pp.50-51〕。また、性質的に馴致に全く手が掛からない馬であり、育成の進捗は常に他馬よりも先んじていた〔。 育成を終えたのち、1991年3月23日に茨城県美浦トレーニングセンターの飯塚好次の元へ入厩〔柴田(1998)p.53〕。4月4日には「ライスシャワー」と馬名登録された〔柴田(1998)p.54〕。これは結婚式のライスシャワーのように、本馬に触れる全ての人々に幸福が訪れるようにとの意味が込められていた〔。異説として、秋篠宮文仁親王と紀子妃の結婚の時期であったため、祝賀の気持ちを込めたとも言われている〔『ライスシャワー 55分55秒5』(ビデオ)学習研究社 ISBN 978-4054005976〕。飯塚はライスシャワーの印象について「男馬にしては体が小さい。それもあって大物感はなく、もちろんグレードレースでどうの、といったことは少しも考えなかった。ただ小さいけれど、いかにもバランスがいい体型なので、うまくいけば中堅クラスまではいくかな、と思いましたよ」と述べている〔『名馬列伝ライスシャワー』p.18〕。担当厩務員となった川島文夫は、体の小ささが目について期待よりも不安の方が大きかったという〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ライスシャワー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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