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ラタナポン・ソーウォラピン(Ratanapol Sor Vorapin、男性、1974年6月6日 - )は、タイ出身のプロボクサー。元IBF世界ミニマム級王者。全盛期は「小型カオサイ」とも呼ばれた。同王座は通算で18度の防衛に成功した。ゴーキャット・パニッチャヤロム氏(Mr.Kokiet Panichayarom)がプロモーター兼オーナーを務めるゴーキャットグループプロモーションズ(Kokiet group Promotions)所属。 元WBO世界バンタム級王者ラタナチャイ・ソーウォラピンは実弟。 == 来歴 == 1990年10月4日、16歳でプロデビュー。 1991年7月17日、タイ王国ミニマム級王者アスウィン・シスラックムアンとバンコクで対戦し、10回判定負けで王座獲得に失敗した。 1992年6月14日、ラジャダムナン・スタジアムでハスニ・レイと対戦し、4回KO勝ちでIBFインターコンチネンタルミニマム級王座の獲得に成功した。 1992年9月6日、アリ・タラゾーナと対戦し5回KO勝ちで初防衛に成功した。 1992年12月10日、バンコクのナショナルスタジアムでIBF世界ミニマム級王者マニー・メルチョルに挑戦し、2-1(115-112、117-110、112-115)の判定勝ちで王座獲得に成功、18歳で世界王者となった。 1993年3月14日、元IBF世界同級王者ニコ・トーマスと対戦し7回31秒KO勝ちでトーマスの4年振りの王座返り咲きを阻止して初防衛に成功した。 1993年6月27日、25戦無敗のアラ・ビラモアと対戦し7回2分1秒TKO勝ちで2度目の防衛に成功した。 1993年9月26日、バンコクフア・マーク・スタジアムでドミンゲス・シワレッテと対戦し4回2分22秒TKO勝ちで3度目の防衛に成功した。 1993年12月10日、フェリックス・ナランジョと対戦し2回34秒TKO勝ちで4度目の防衛に成功した。 1994年2月27日、ロニー・マグラモと対戦し12回3-0(118-110、118-111、115-113)の判定勝ちを収め5度目の防衛に成功した。 1994年5月14日、ロジャー・エスパノーラと対戦し6回1分5秒TKO勝ちで6度目の防衛に成功した。 1994年8月20日、マルセリオ・ボイバーと対戦し4回TKO勝ちで7度目の防衛に成功した。 1994年11月12日、カルロス・アルベルト・ロドリゲスと対戦し3回1分8秒TKO勝ちで8度目の防衛に成功した。 1995年2月25日、ジェリー・パハヤハイと対戦し粘られながらも3回22秒TKO勝ちで9度目の防衛に成功した。 1995年5月20日、オスカー・アルフォンソ・フローレンスと対戦し2回2分12秒TKO勝ちで10度目の防衛に成功した。 1995年10月29日、ジャック・ラッセルと対戦し2回1分20秒KO勝ちで11度目の防衛に成功した。 1995年12月30日、オズワルト・ゲレーロと対戦し6回1分26秒TKO勝ちで12度目の防衛に成功した。 1996年3月16日、シーサケート県で行われたリー・サンドバルとの試合は、当初はIBF世界ミニマム級王座の13度目の防衛戦となる予定だったが、ラタナポンが前日軽量をクリアー出来ず王座を剥奪された為、サンドバルが勝てば王座獲得、ラタナポンが勝てば王座が空位となるという条件で試合が行われたが、ラタナポンが11回TKO勝ちを収めた為、王座は空位となった。 1996年5月18日にヤラー県のプロヴィンシャル・スタジアムで行われたIBF世界ミニマム級王座決定戦でラタナポンがジュン・アルロスに3-0(120-107、118-109、120-107)の判定勝ちで完勝し、完封で王座返り咲きに成功した。 1996年7月13日、ジュン・オーハジラと対戦し3回35秒KO勝ちで返り咲き後初防衛に成功した。 1996年9月28日、オスカー・アンドラーデと対戦し5回15秒KO勝ちで2度目の防衛に成功した。 1996年11月24日、グスタボ・ベラと対戦し2回2分50秒KO勝ちで3度目の防衛に成功した。 1997年3月22日、ルイス・ドリアと対戦し4回1分58秒TKO勝ちで4度目の防衛に成功した。 1997年6月14日、ファン・エレーラと対戦し12回3-0(115-113、116-111、117-109)の判定勝ちで5度目の防衛に成功した。 1997年8月30日、ウェリントン・ビセンテと対戦し2回2分55秒TKO勝ちで6度目の防衛に成功した。 1997年12月28日、ゾラニ・ペテロと対戦し3回終了時のスコアは3-0(30-27、2者が29-28)とラタナポンが優位だったが一瞬の隙を突かれてペテロの馬力でロープ際に追い詰められ、フックの連打から最後は左フックでダウンを奪われた。起き上がるもそのままふらついて倒れてレフェリーがストップ。4回2分0秒逆転TKO負けを喫し、7度目の防衛に失敗し王座から陥落した。 1998年12月18日、フォートローダーデールのメモリアル・オーディトリアムで行われたIBF世界ライトフライ級王座決定戦でウィル・グリッグスピーと対戦し、0-3(110-118、112-116、111-118)の判定負けを喫し、王座獲得に失敗、2階級制覇に失敗した。 2000年12月2日、ラスベガスのマンダレイベイ・イベントセンターでフェリックス・トリニダードVSフェルナンド・バルガスのWBA・IBF世界スーパーウェルター級王座統一戦のセミファイナルとして行われたIBF世界ライトフライ級王者リカルド・ロペスと対戦。勝てば一気に名を上げるチャンスだったが、初回に左フックで幻のダウン(手を付いた)を奪われるなど一方的に支配され、最後はフックとアッパーの乱れ打ちを浴びてレフェリーがストップ。3回2分11秒TKO負けを喫し、またも2階級制覇に失敗した。 2005年8月5日、約5年ぶりに現役復帰。 2007年5月29日、カーラシン県で奥本貴之と対戦。「48歳vs15歳」という対戦になったが、2回1分0秒TKO勝ちを収めた。 2007年11月16日、スラートターニー県・カーンチャナディット郡で行われたアルウィー・アルハブシーとのPABAフライ級王座決定戦で1回KO勝ちを収め、王座を獲得した。 2008年10月3日、PABAフライ級王座の5度目の防衛戦で暫定王者のリチャード・ガルシアに0-2の判定負けを喫し、PABAフライ級王座の統一に失敗、王座から陥落した。 2009年2月8日、松下IMPホールにて小松則幸と対戦し、1回2分16秒TKO勝ちを収めた。 2009年5月7日、パッタルン県で行われたPABAフライ級王座決定戦でウィド・パエスと対戦し、3回KO勝ちを収め、PABAフライ級王座を再獲得した。 2009年7月10日、プーケット県で行われたレイ・ミグレノを迎えてのPABAフライ級王座2期目の初防衛戦で5回KO負けを喫し、王座から陥落した試合を最後に現役を引退した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ラタナポン・ソーウォラピン」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Ratanapol Sor Vorapin 」があります。 スポンサード リンク
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