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ラファエロの間 : ミニ英和和英辞書
ラファエロの間[らふぁえろのま]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラフ : [らふ]
  1. (adj,n) rough 2. (adj,n) rough
: [けん, ま]
 【名詞】 1. space 2. room 3. time 4. pause 

ラファエロの間 : ウィキペディア日本語版
ラファエロの間[らふぁえろのま]

ラファエロの間:Stanze di Raffaello)は、バチカン宮殿にある4つの部屋の総称である。この4つの部屋で一続きの応接室を構成しており、教皇庁の一部として公開されている。ラファエロ・サンティと彼の弟子らの手による多くの著名なフレスコ画が展示されている。ミケランジェロによるシスティナ礼拝堂の天井画とともに、フレスコ画としては盛期ルネサンスを代表する作品として広く知られている。
イタリア語の呼称に含まれる ''Stanze'' という語は元々、ローマ教皇ユリウス2世の住居であった宮殿内の一連の区画を指していた。ユリウス2世は1508年から1509年にかけて、当時ウルビーノからローマに出てきて工房を構えたばかりの若い芸術家であったラファエロに、その内装装飾の全面的な改修を依頼した。これらの部屋がユリウス2世と対立していた前の教皇アレクサンデル6世ボルジアの間 (en)のすぐ上にあったことから、この大規模な改修はアレクサンデル6世に対する示威行為でもあったとも言われる。ユリウス2世の居住区は建物の3階にあり、ベルベデーレの中庭 (en) を見下ろす場所にある。
「ラファエロの間」と呼ばれる一連の部屋には、東から入って西に向かって歩いていくと、「コンスタンティヌスの間 (伊: ''Sala di Costantino'')」、「ヘリオドロスの間 (''Stanza di Eliodoro'')」、「署名の間 (''Stanza della Segnatura'')」、「ボルゴの火災の間 (''Stanza dell'incendio del Borgo'')」と続いている。
1513年のユリウス2世の没後も、教皇レオ10世により改修は続けられた。ラファエロが1520年に没してからは、彼の徒弟であったジャンフランチェスコ・ペンニ (en)、ジュリオ・ロマーノラファエリーノ・デル・コッレ (en) が「コンスタンティヌスの間」を完成させた。
== コンスタンティヌスの間 ==
ラファエロの間に含まれる4つの部屋のうち、コンスタンティヌスの間がもっとも広い。この部屋の装飾画に関しては、制作はユリウス2世、およびラファエロの存命中にはほとんど進められず、また題材は、異教徒に対するキリスト教の戦いと勝利に絞られている。ローマ帝国コンスタンティヌス帝の生涯に始まり、ロマーノ、ペンニ、デル・コッレによる絵画がその後の歴史を綴っている。これらは、彼らの師であったラファエロ自身によるものではないため、他の間にある絵画ほど有名ではない。彼らは当時の慣習に倣い、絵画中のシルウェステル1世の姿形として、実際にはクレメンス7世の姿を描いている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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