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リッキー・モートン : ミニ英和和英辞書
リッキー・モートン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

リッキー・モートン : ウィキペディア日本語版
リッキー・モートン[ちょうおん]

リッキー・モートンRicky Morton、本名:Richard Stratten1956年9月21日 - )は、アメリカ合衆国プロレスラーテネシー州ナッシュビル出身。
ロバート・ギブソンとのタッグチームロックンロール・エクスプレスThe Rock 'n' Roll Express)での活躍で知られる。設定上の生年は1960年とされていた。
== 来歴 ==
地元テネシー州メンフィスCWAにて1979年にデビュー。師匠のケン・ルーカスや黒人レスラーのソニー・キングのパートナーとなり、マイケル・ヘイズ&テリー・ゴディファビュラス・フリーバーズラリー・レイザム&ウェイン・ファリスのブロンド・ボンバーズと対戦、同年9月にはキングとのコンビでボンバーズからAWA南部タッグ王座を奪取した。
以降もCWAを主戦場にベビーフェイスの新鋭として活動後、1983年ロバート・ギブソンロックンロール・エクスプレスを結成。アイドルタッグチームとして売り出される。その後、ビル・ワットのMSWAにおけるミッドナイト・エクスプレスボビー・イートン&デニス・コンドリー)との抗争劇を経て、1985年よりNWAジム・クロケット・プロモーションズに移籍。デビュー戦でイワン・コロフ&クラッシャー・クルスチェフからNWA世界タッグ王座を奪取し、以降も同地区のタッグマッチ戦線において活躍。その甘いマスクとスピーディーな試合スタイルで、少女ファンからの絶大な支持を集めた〔リック・フレアー、キース・エリオット・グリーンバーグ共著『リック・フレアー自伝 トゥー・ビー・ザ・マン』P225-226(2004年、エンターブレイン、ISBN 4757721536)〕。
ギブソンとのタッグで活動する一方、モートンはシングル・プレイヤーとしての才能も発揮し、リック・フレアーも彼の実力を高く評価した〔。1986年はフレアーとの抗争アングルが組まれ、当時フレアーが保持していたNWA世界ヘビー級王座に4月から7月にかけて連続挑戦している。1988年5月にはギブソンと共に全日本プロレスへの初来日を果たし、同年10月にも再来日した。
その後はフリーランスのタッグチームとしての活動を経て、ジム・クロケット・プロモーションズを買収したWCW1990年より参戦したが、ギブソンの欠場中にフレアー・タイプの伊達男系ヒールに転向。復帰したギブソンを敵に回しての、元パートナー同士の遺恨試合も行われた。このヒールターン時には、リチャード・モートンの名義で女性マネージャーのアレキサンドラ・ヨーク率いるヨーク・ファウンデーションに加入。1991年10月8日には同じ色悪系のトーマス・リッチ&テレンス・テイラーとのトリオで、ダスティン・ローデストム・ジンクビッグ・ジョッシュからWCW世界6人タッグ王座を奪取している。
WCW離脱後はギブソンとロックンロール・エクスプレスを再結成し、1990年代半ばまでジム・コルネットの主宰するスモーキー・マウンテン・レスリングやCWAの後継団体USWAにて活動。1992年7月13日にエディ・ギルバートを破り、USWA統一世界ヘビー級王者となるなどシングルでも活躍した。1996年5月にはギブソンと共にFMWに来日し、彼らに影響を受けたリッキー・フジと組んでの6人タッグマッチにも出場。1997年の単独での再来日時には、フジとニュー・ロックンロール・エクスプレスを結成している。以後、1998年WWF参戦を経てギブソンとのコンビを一旦解消。ベテランのシングル・プレイヤーとなってインディー団体を転戦後、2000年代に入ってTNAなどでロックンロール・エクスプレスを復活させている〔。
単独での活動も行い、2007年4月に古巣メンフィスのインディー団体、メンフィス・レスリングにてキッド・キャッシュと組み、同団体認定の南部タッグ王座を獲得した〔。近年もギブソンと共にロックンロール・エクスプレスのリユニオン・ツアーを続けており、2010年4月には主戦場としていたクロケット・プロのブランドネームと同名義のNWA加盟団体、MACW(ミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリング)において、バフ・バグウェル&リッキー・ネルソンからMACWタッグ王座を奪取している〔。
2014年1月4日、テネシーのNWA加盟団体であるNWAスモーキーマウンテンにて、弟子でもあるチェーズ・オーエンズからNWA世界ジュニアヘビー級王座を奪取。3月7日にオーエンズに奪還され短命王者で終わったものの、57歳での最高齢戴冠者となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「リッキー・モートン」の詳細全文を読む




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