翻訳と辞書
Words near each other
・ レオ・クラーゼン
・ レオ・クルーガー
・ レオ・ゲン
・ レオ・ゴメス
・ レオ・サックス
・ レオ・サワビー
・ レオ・サンタ・クルス
・ レオ・サントス
・ レオ・ザ・ライオン
・ レオ・シェストフ
レオ・シエストフ
・ レオ・シュトラウス
・ レオ・シュピース
・ レオ・シラード
・ レオ・シルバ
・ レオ・シロタ
・ レオ・シン
・ レオ・ジェームス・レインウォーター
・ レオ・ジラード
・ レオ・スタジアム


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

レオ・シエストフ ( リダイレクト:レフ・シェストフ ) : ウィキペディア日本語版
レフ・シェストフ

レフ・シェストフ(Lev Isaakovich Shestov,Лев Исаакович Шестов、1866年2月12日ユリウス暦1月31日)- 1938年11月19日)はロシア系ユダヤ人の哲学者。本名はレフ・イサコヴィッチ・シュワルツマン(Шварцман)。日本語ではドイツ語名Leo Schestowの影響から「レオ・シェストフ」とも表記される。
== 生涯 ==
キエフのユダヤ系商人の家に生まれ、モスクワの州立大学で数学と法律を学ぶ。学監との衝突のためキエフにもどり学術論文を完成するが、その革命的な傾向のために受理されず、法律の学位を取ることができなくなった(のちにベルリンで法律学を修める)。1898年から、ニコライ・ベルジャーエフセルゲイ・ディアギレフディミートリ・メレジコフスキー、およびヴァシーリー・ローザノフなどの知識人のサークルに入り、その同人誌に寄稿しはじめた。
1908年にドイツのフライブルク、ついでコベットというスイスの小村に移住し、1910年までそこに滞在した。1915年にモスクワにもどるが、1919年ボルシェヴィキによる政権奪取の時期から、生活は困難となりフランスへと亡命することになった。1925年からソルボンヌ大学で哲学の講義を受け持ち、ブレーズ・パスカルプロティノスの研究に打ちこむ。1926年エトムント・フッサール1929年マルティン・ハイデッガーと知り合い、特にハイデッガーにはセーレン・キェルケゴールの重要性を教えられ、宗教と実存主義哲学へと目を開かせられる。1938年から重い病にかかりつつインド哲学の研究を進め、パリの診療所で亡くなる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「レフ・シェストフ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Lev Shestov 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.