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レーティッシュ鉄道(レーティッシュてつどう、〔なお、同じスイスのロールシャッハ-ハイデン登山鉄道(Rorschach-Heiden-Bergbahn、2006年にアッペンツェル鉄道と統合)も略称はRHBとなっている〕、、)は、スイス東部のグラウビュンデン州を中心に約400kmの路線網を持つスイス最大級の私鉄である。沿線にサンモリッツやダヴォスなどの世界的なリゾート地を持ち、氷河急行やベルニナ急行といった看板列車を走らせている観光路線であるほか、地域の生活路線としても旅客・貨物輸送共に多数の列車を運行してグラウビュンデン州の鉄道輸送をほぼ一手に担い、州の経済において重要な役割を果たしている。アルブラ線の一部とベルニナ線は「レーティッシュ鉄道アルブラ線・ベルニナ線と周辺の景観」として世界遺産リストへの登録もされている。日本語では、レーテッシュ鉄道、レーティッシェ鉄道、レーティシュ鉄道(鉄道はバーンとも)などとも表記される。 == 概要 == レーティッシュ鉄道はグラウビュンデン州の州都クールに本社を置くスイス最大級の私鉄で、以下の各言語で表記され、所属する車両にもいずれかの表記でロゴが入れられている。 * ドイツ語表記:Rhätische Bahn * イタリア語表記:Ferrovia retica * ロマンシュ語表記:Viafier retica なお、レーティッシュ鉄道の名前の由来は紀元前3000年頃からこの地に住んでいたとされるスイス東部の先住民族であるラエティア族〔後にローマ帝国の属州となるが、その第一ラエティアの首都がクールであった〕の名やそれに由来するこの地方の古い地名であるラエティア/レーティエン〔Rhaetia/Rätien〕にまで遡ることができる。 グラウビュンデン州にはスイス連邦鉄道(スイス国鉄)はほとんど路線を持たず、レーティッシュ鉄道がほぼすべての鉄道輸送を担っている。このため、私鉄でありながら、株式の51%をグラウビュンデン州が、43%をスイス連邦が所有し、民間の所有は6%となっており、多くの機関車や電車の前面にはグラウビュンデン州の紋章が設置されているほか、2004年以降順次採用されている客車の新塗装では車体側面にもグラウビュンデン州のロゴが入っている。 また、レーティッシュ鉄道は、スイスアルプスの山岳地帯に路線網を持つにもかかわらず、ループ線やトンネルを多用することでラック式には頼らずに勾配を本線系統では45パーミル、ベルニナ線やクール - アローザ線でも70パーミルや60パーミルに抑え、すべて粘着式鉄道としているのが特徴であり、結果として長大編成の列車を運行可能としており、現在では主要路線の各駅は約260 - 300mの線路有効長が確保されている。 レーティッシュ鉄道はラントクアルトからダヴォスまでの路線を建設したラントクアルト-ダヴォス鉄道〔Landquart-Davos-Bahn(LD)〕を前身としている。同社が最初にダヴォスまでの路線を計画した際にはラック式やスイッチバックによることも検討された。しかし、結果的には通常の粘着式鉄道とし、スイッチバックも1箇所(これも後に解消される)のみとし、費用的な面から標準軌ではなくメーターゲージ(狭軌)で建設することとなり、このときの決定がその後のレーティッシュ鉄道の各路線建設における基本方針となっている。ラントクアルト-ダヴォス鉄道は1890年にはダヴォスまでの路線を開業させたが、グラウビュンデン州の他の地域へ路線を拡大するために1895年には社名をレーティッシュ鉄道に変更し、その後1897年には住民投票により州営となって急速に路線を拡大していくこととなった。また、第一次世界大戦による石炭価格の高騰により、交流11kV16.7Hzでの電化が検討され、エンガディン線開業時にサメダン - シュクオール・タラスプ間が電化されたのを皮切りに1913年から1922年にかけて本線系統はすべて電化されている。なお、スイス国鉄などでは交流15kVを採用しているが、レーティッシュ鉄道ではトンネル断面が小さいため、絶縁上の問題から11kVと低い電圧を採用している。その後、1942年には同じクールとリゾート地のアローザを結ぶクール-アローザ鉄道〔Chur-Arosa-Bahn(ChA)〕とティチーノ州のベリンツォーナ-メソッコ電気鉄道〔Società Ferrovia elettrica Bellinzona-Mesocco(BM)〕を、1943年にはサンモリッツとイタリアのティラーノを結ぶベルニナ鉄道〔Bernina-Bahngesellschaft(BB)〕を合併し、グラウビュンデン州の鉄道をレーティッシュ鉄道に統合した。 第二次世界大戦後1970年代までは財政的には厳しかったものの、助成金によって路線や駅を廃止せずに乗切ることができたが、スイス国鉄によるレーティッシュ鉄道の統合も議論されることがあった。1970年代以降1980年代にかけての助成金の減少に伴い、レーティッシュ鉄道は観光鉄道としての利用喚起に本腰を入れるようになり、美しい沿線風景を旅行者にアピールした結果、氷河急行、ベルニナ急行などの看板列車は1年を通じて多数の旅行者を輸送することとなった。また、利用の少ない駅の廃止や停留所の格下げもこの時期に実施されているが、その後も続く財政問題の解決のため、現在も合理化プログラムが進行しつつ、輸送力増強や近代化のための設備増強も実施されている。また、運行面ではスイス全国に及ぶ交通網改良計画であるBahn+Bus 2000計画によって、レーティッシュ鉄道でも2004年12月より旅客列車の運行系統の整理がなされて昼間時間帯を中心に1時間ごとのパターンダイヤ化され、ダイヤ上必要ないくつかの区間についてはそれぞれ短区間ながら積極的に複線化が進められて運行の効率化を図っている。 レーティッシュ鉄道とスイス、イタリアおよび各沿線自治体ではアルブラ線とベルニナ線とその沿線の景観について、世界遺産登録を目指してGe4/4III形650号機およびABe4/4 51-56形51号機をラントヴァッサー橋をデザインした広告塗装機とするなどの活動を行ってきた。その結果、2008年の第32回世界遺産委員会で「レーティッシュ鉄道アルブラ線・ベルニナ線と周辺の景観」として正式に世界遺産リストに登録されている。なお、世界遺産登録名に「鉄道」と明記されている世界遺産はオーストリアの「ゼメリング鉄道」、インドの「インドの山岳鉄道群」〔ダージリン・ヒマラヤ鉄道、ニルギリ山岳鉄道、カールカー=シムラー鉄道の三鉄道が登録されている〕に続き3例目である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「レーティッシュ鉄道」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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