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ロングポイントの戦い(、フランス語ではロングポワント)は、アメリカ独立戦争初期の大陸軍によるカナダ侵攻作戦中、1775年9月25日に、イーサン・アレンが少数の大陸兵とカナダ人民兵を使って、イギリス軍の占めるモントリオールを奪おうとした試みである。アレンは地元住民の中から民兵隊を立ち上げるよう指示を受けていただけだったが、以前から守りの薄いモントリオール市を奪おうと考えていた。約110名となっていたアレンの部隊がセントローレンス川南岸に到着したときにその試みを行う機会を掴んだ。アレンが援軍を連れて現れると思っていたジョン・ブラウンが作戦通りに到着せず、アレン隊は川の北岸で孤立した。 イギリス軍のガイ・カールトン将軍は、アレンがセントローレンス川を渡ったという報に接して、大半はイギリス領ケベック植民地の民兵で構成される部隊を派遣した。この部隊がアレン隊の脱出路を遮断し、最後は包囲してアレンとその兵士の多くを捕虜にした。 == 背景 == 18世紀、モントリオール市は、モントリオール島の現在ではオールドモントリオールと呼ばれる小部分のみを占めていた。島の東端はロングポイントと呼ばれ、ロンゲールの対岸にあたる所にはロングポイント砦と呼ばれる砦があった〔See the map at the top of this page.〕。この地域は1910年にモントリオール市に併合され、現在では市の1つの区であるメルシエ・オシュラガ・メゾンヌーブ区のメルシエ東地区となっている。 大陸軍のカナダ侵攻作戦は、フィリップ・スカイラー将軍の指揮する大陸軍が1775年9月4日にイル・オ・ノワに到着したときが始まりだった〔Smith, pp. 322–324〕。スカイラーはこのとき病気に罹っており、全軍の指揮をリチャード・モントゴメリー将軍に委ねた。モントゴメリーはセントジョンズ砦の包囲を命じ、9月18日に包囲が開始された。リシュリュー川沿い、モントリオールの南にあるこの砦には、イギリス軍のガイ・カールトンが5月にタイコンデロガ砦を奪われた後で、その一存で少数のイギリス軍正規兵を集中させていた〔Smith, p. 366〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ロングポイントの戦い」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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