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ローマ=アルバーノ線()は、イタリアの首都ローマ近郊の鉄道路線。ローマ市内とその南東近郊にあたる地方とを結ぶ、3つの路線のうちのひとつである。トレニタリアによって運行されており、他の2路線とともにラツィオ地方鉄道網FL4(旧称FR4)の一部を構成する。 ローマ中心部のローマ・テルミニ駅を起点とし、チャンピーノ、マリーノ、カステル・ガンドルフォの町を経てアルバーノ・ラツィアーレ駅(ローマ県アルバーノ・ラツィアーレ)に至るこの路線は、1889年に開業した。1927年にはアルバーノ・ラツィアーレより南のネットゥーノまでが開通したが、その後廃止されている。ローマ~チャンピーノ間が複線区間である。 == 歴史 == === 前史 === イタリア王国が、教皇領(教皇国家)であったローマ周辺を併合した1870年の時点で、カステッリ・ロマーニ周辺地域には既に2つの鉄道路線があった。教皇国家は1856年にローマとフラスカーティを結ぶ路線(ローマ=フラスカーティ線)を、1863年にはローマとヴェッレトリとを繋ぐ路線(ローマ=ヴェッレトリ線)を、それぞれ建設していた。しかしながら、カステッリ・ロマーニの中心部にあたるグロッタフェッラータからジェンツァーノ一帯には、鉄道が敷設されないでいた。 この空白を補うため、1880年にローマ・ポルトナッチョ(現在のローマ・ティブルティーナ駅)からチャンピーノを経由してマリーノに至るポルトナッチョ=チャンピーノ=マリーノ線が開通した。ただしこれは、一般的な鉄道路線ではなく、蒸気機関車が走るトラム(路面汽車)としてであった。しかしながら、チャンピーノとマリーノの間の激しい標高差を越える上での路線設計のまずさがすぐに明らかになり、同線を経営する上での困難を引き起こした。この路面汽車は、現在はマリーノからパンタネッレにかけてのロマーナ通りやカストリメニエンセ通りの大部分を占めている、マリーノのガリバルディ広場に到着していた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ローマ=アルバーノ線」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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