翻訳と辞書
Words near each other
・ ヴィシェフラット
・ ヴィシェフラット墓地
・ ヴィシェフラット民族墓地
・ ヴィシェフラッド
・ ヴィシェフラト
・ ヴィシェフラト城
・ ヴィシェフラド
・ ヴィシェラ川 (ペルミ地方)
・ ヴィシゴロド公
・ ヴィシゴロド公国
ヴィシゴロド諸公会議
・ ヴィシソワーズ
・ ヴィシネグラツキー
・ ヴィシバダ (小惑星)
・ ヴィシャカパトナム
・ ヴィシャス・ヴァイパー
・ ヴィシャタ
・ ヴィシャーカパトナム
・ ヴィシャーノ
・ ヴィシュキ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ヴィシゴロド諸公会議 : ミニ英和和英辞書
ヴィシゴロド諸公会議[う゛ぃしごろどしょこうかいぎ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しょ]
  1. (pref) various 2. many 3. several 
: [こう]
  1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate
公会 : [こうかい]
 (n) public meeting
: [かい]
  1. (n,n-suf,vs) meeting 2. assembly 3. party 4. association 5. club 
会議 : [かいぎ]
  1. (n,vs) meeting 2. conference 3. session 4. assembly 5. council 6. convention 7. congress 

ヴィシゴロド諸公会議 : ウィキペディア日本語版
ヴィシゴロド諸公会議[う゛ぃしごろどしょこうかいぎ]
ヴィシゴロド諸公会議()は、1072年ヴィシゴロドで開かれた、ルーシ諸公による会議(ru)の1つである。
キエフ大公ヤロスラフの死後、その年長の子であるイジャスラフスヴャトスラフフセヴォロドによるルーシの地(キエフ大公国領)の共同統治体制が敷かれていた。彼らが、ボリスとグレプ(ru)不朽体を、新たに建設した教会へ移すためにヴィシゴロドに集まったのがヴィシゴロド諸公会議である。何人かの歴史学者は、ボリスとグレブがルーシ最初の聖人と宣言されたのはこの年のことであるとみなしている。ヴィシゴロド諸公会議には、ヤロスラフ子らに近しい貴族(ボヤーレ)、府主教、教会の主要人物らも参加した。
政治的見地からみれば、諸公会議、そして不朽体の移転の儀式は、既にほころびを生じ始めていたヤロスラフの子らの三頭体制を、再び磐石なものと印象づけさせるシンボルとして行われたものでもあった。また法制史的には、M.ティホミロフ(ru)、S.ユシュコフ(ru)、L.チェレプニン(ru)らの中世ルーシの法制度の研究者は、『ルースカヤ・プラウダ』中の第19条 - 第41条(「ヤロスラフの子らの法典」)を、ヴィシゴロド諸公会議で承認されたものであるとみなしている。
==参考文献==

*Летопись русская. К., 1989
*Грушевский М. С. История Украины-Руси, т. 2. К., 1992
*Котляр М., Кульчицкий С. Справочник по истории Украины


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヴィシゴロド諸公会議」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.