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ヴィンコ・グロボカール(Vinko Globokar, 1934年7月7日 - )は、スロベニア系フランス人のアバンギャルド作曲家、トロンボーン奏者、指揮者。 グロボカールの作品は型にはまらないextended technique(超技術、:en:Extended technique)の使用が特徴的で、同世代の作曲家ではサルヴァトーレ・シャリーノ、ヘルムート・ラッヘンマンと密接な関係を持っている。しかし、シャリーノやラッヘンマンと違って、グロボカールは自発性と創造力を重要視していて、即興を必要とすることも多い。多作ではあるが、実験音楽の世界以外ではグロボカールの名はあまり知られていない。 一方、トロンボーン奏者としては、自作の他、ルチアーノ・ベリオ、マウリシオ・カーゲル、カールハインツ・シュトックハウゼン、ルネ・レイボヴィッツ、武満徹の作品の初演をしている。 ==経歴== グロボカールはフランスのムルト=エ=モゼル県 Andernyに生まれた。1947年、ユーゴスラビアに移り、そこで1955年までジャズ・トロンボーン奏者として演奏し、それからパリ国立高等音楽院で勉強するためにパリに移った。学校ではルネ・レイボヴィッツ(アルノルト・シェーンベルクの弟子の1人)から作曲を、アンドレ・ラフォス(André Lafosse)からトロンボーンを学んだ。1965年にはベルリンに移り、ルチアーノ・ベリオの下で作曲を学んだ。グロボカールは後にベリオの『セクエンツァV』を初演している。 1960年代後半、グロボカールはオペラ『Aus den Sieben Tagen(7つの日から)』で作曲者カールハインツ・シュトックハウゼンと仕事をし、さらに、フリー・インプロヴィゼーション・グループ、ニュー・フォニック・アート(New Phonic Art)を(共同で)結成した。1967年から1976年にかけて、グロボカールはケルンの音楽学校で教鞭を取った。1974年、グロボカールは楽器・声楽研究のディレクターとしてIRCAMに参加した。 IRCAMを去った後は、ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、フィンランド放送交響楽団、ケルンWDR交響楽団、エルサレム交響楽団など、多くのオーケストラで指揮をした。1980年から2000年まで、フィレンツェのフィエゾーレ音楽院で20世紀音楽演奏の監督をしている。現在はベルリンに住んでいる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヴィンコ・グロボカール」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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