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ヴィントン・サーフ : ミニ英和和英辞書
ヴィントン・サーフ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ヴィントン・サーフ : ウィキペディア日本語版
ヴィントン・サーフ[ちょうおん]

ヴィントン・グレイ・サーフVinton Gray Cerf〔、1943年6月23日 - )はアメリカ合衆国計算機科学者であり、ロバート・カーンと共にインターネットTCP/IPプロトコルの創生に重要な役割を演じた「インターネットの父」の1人〔(see Interview with Vinton Cerf , from a January 2006 article in ''Government Computer News''), サーフはロバート・カーンレナード・クラインロックと共にインターネットの父の1人に挙げられることを快く思っている。〕。その功績により、アメリカ国家技術賞〔、チューリング賞Cerf wins Turing Award Feb 16, 2005〕、大統領自由勲章2005 Presidential Medal of Freedom recipients from the White House website〕を受賞(受章)し、全米技術アカデミー会員にも選ばれている。通称はヴィント・サーフ (Vint Cerf)。
かつてアメリカ国防総省国防高等研究計画局 (DARPA) でプログラムマネージャを務め、TCP/IP関連技術を開発する様々なグループに出資した。1980年代末ごろインターネットが商用化される際、MCIに移って初期の商用電子メールシステム MCI Mail を開発し、それをインターネットに接続した。
ICANNの創設に尽力。後にICANNの理事となり、最終的に会長を務めた。2012年5月、Association for Computing Machinery の会長に選ばれた〔ACM Elects Vint Cerf as President from the ACM website〕。
== 経歴 ==
コネチカット州ニュー・ヘイブン生まれ。父は航空宇宙企業の重役だった。卒。同級生にジョン・ポステルスティーブ・クロッカーがおり、どちらもサーフと同じくインターネットの誕生に関わっている。早くからコンピュータに興味を持ち、スタンフォード大学に入学して夏休みにはノースアメリカンロケットダインといった企業で働いた。1965年数学の学士号を取得し、卒業後IBMに就職。IBMではQUIKTRAN(FORTRANの一種)の開発に関わった〔。もっとコンピュータについて学ぶことを決意して1967年には大学に戻り、カリフォルニア大学ロサンゼルス校 (UCLA) で計算機科学を学んだ。1970年に修士号、1972年に博士号を取得。
UCLA時代には教授の下で学び、レナード・クラインロック教授の下で世界初のパケット通信コンピュータネットワークであるARPANETにも関わり、ARPANETでのホスト間通信プロトコル開発に貢献した〔。同時期にARPANETのハードウェアアーキテクチャについて仕事していたロバート・カーンにも出会っている。そのころからサーフはいくつものRFCを執筆している。博士号取得後1972年スタンフォード大学の教授となってからもコンピュータネットワークに関わり続け、カーンと共同でTCP/IPの設計を行った〔。1976年、サーフは国防高等研究計画局(DARPA)に招かれ、1982年までその分野の研究開発計画に関わることとなった。
その後、1982年から1986年まで通信企業 MCI の副社長を務め、世界初のインターネット接続された商用電子メールサービス MCI Mail の開発などを指導した。1994年にも再びMCIに戻り、技術戦略担当上級副社長を務めた。
さらにサーフは1986年にカーンが設立した Corporation for National Research Initiatives (CNRI) に参加し、1994年までとどまった。そこで彼は電子図書館や Knowbot などのプロジェクトを指導した。
サーフは1992年ロバート・カーンと共にインターネット協会 (ISOC) を設立した。ISOCはインターネットの一般ユーザーへの普及促進を図るとともに、各種関連技術団体(IETFなど)のまとめ役にもなっている。サーフはISOCの初代会長を1999年まで務めた。
彼は聴覚障害者であり、1997年に聴覚障害者のための大学であるギャローデット大学の評議会のメンバーとなった〔Resolution: Vinton G. Cerf , from that university's website〕。
2005年9月8日、Googleはサーフを副社長兼チーフ・インターネット・エバンジェリストとして雇った〔Cerf’s up at Google 〕〔Vint Cerf: Google's New Idea Man 〕。
1999年から2007年まで、ICANNの理事を務めている。
2002年3月8日、ブルガリアの大統領ゲオルギ・パルヴァノフのIT諮問委員会のメンバーとなった(2012年1月まで)〔Presidential 〕。サーフは国際的リスクコンサルタント会社 Eurasia Group の諮問委員会のメンバーでもある。
サーフはアメリカ航空宇宙局ジェット推進研究所と共に惑星間インターネット構想にも関与している。これは惑星から惑星への通信の標準規格となるもので、無線またはレーザー通信を使用して信号減衰への高度な耐性を目指している〔The InterPlaNetary Internet Project IPN Special Interest Group 〕。
2006年2月、サーフは上院商務科学運輸委員会で「ネットワーク中立性」について証言した〔Testimony before the U.S. Senate Committee on Commerce 〕。Googleのチーフ・インターネット・エバンジェリストとして証言したもので、消費者の約半数はブロードバンドプロバイダーの選択肢がなく、インターネット中立性についての政府による規制がなければプロバイダーが独占状態からさらに消費者の選択肢を狭め、Googleなどの企業に帯域幅使用について課金する可能性があるとした。
2008年、IETF国際化ドメイン名ワーキンググループの議長を務めた。
2010年から、国連のの委員を務めている。
北米などを担当する地域インターネットレジストリであるARINの理事を務めている。
反マルウェアの非営利団体 StopBadware の取締役も務めている。Googleはハーバード大学の Berkman Center for Internet & Society のプロジェクトとして始まった当初からこれを支援している。
バラク・オバマ大統領によるアメリカ初の (CTO) の候補者としてサーフの名も挙げられていた。
2012年5月24日、Association for Computing Machinery (ACM) はサーフが会長に選ばれ、2012年7月1日から2年間務めることを発表した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヴィントン・サーフ」の詳細全文を読む




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