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ヴィージェイ・レコード (Vee-Jay Records) は、1950年代から60年代にかけて存在したアメリカ合衆国のレコードレーベル。ブルース、R&B、ゴスペルなどの作品のリリースが主であったが、ビートルズのリリースなども手がけた。 ==歴史== 1953年、ヴィヴィアン・カーターとジェイムズ・ブラッケン (のちにブラッケン夫妻) のアフリカ系アメリカ人の二人によってインディアナ州ゲイリーに設立された。レーベル名は、二人のファースト・ネームの頭文字VとJに由来している〔The Vee-Jay Story 〕。 同年、R&Bボーカル・グループのスパニエルズ、ブルース・シンガーのジミー・リードのレコードを相次いでリリースした。同年ゴスペル・グループのメイシオ・ウッズ・シンガーズとも契約をしている。 1954年、事務所をシカゴに移転。この後、同レーベルはジョン・リー・フッカー、エルドラドス、メンフィス・スリム、ザ・デルズ、ジーン・アリソンなどのレコードをリリースし、ヒット曲が次々と生まれた。 1960年代に入るとヴィージェイは、ソウル、ポップ、ロックなどより幅広いアーティストの作品をリリースするようになっていった。1961年には、グラディス・ナイト&ザ・ピップスのデビュー・シングル"Every Beat of My Heart"をリリース。ビルボード・ポップ・チャート第6位のヒットを記録している〔Allmusic.com Gladys Knight & the Pips - Billboard singles 〕。 また、レーベル初の白人アーティストとなったフランキー・ヴァリ&ザ・フォー・シーズンズとも契約し、1962年に"Big Girls Don't Cry"がポップ・チャート、R&Bチャートともにトップとなった〔 Allmusic.com The Four Seasons - Billboard singles 〕。 同年、ヴィージェイはイギリスから登場した新人グループ、ビートルズの米国での権利を獲得。"Love Me Do"、"Please Please Me"などのビートルズのシングルを米国でリリースし、大きな富を得ることとなった。この他、ヴィージェイはジェリー・バトラー、ディー・クラーク、ジーン・チャンドラー、リトル・リチャード等のレコード手がけている。 しかし、ビートルズの権利はキャピトル・レコードに奪われてしまい、ヴィージェイは彼らのレコードをリリースし続けたことから、キャピトルに訴えられることとなった〔The Vee-Jay Story, Page 3 by Mike Callahan 〕。同時期にロイヤルティの支払いのトラブルからフォー・シーズンズもレーベルを離れた。 ヴィージェイはカリフォルニアに事務所を移転し新レーベル、トリー(Tollie)を興すなどするが、経営は下降路線を辿った。1966年、レーベルは倒産。翌年、ベティー・チアペッタが破産管財人からレーベルを買収し、ヴィージェイはヴィージェイ・インターナショナルとして再スタートを切ることとなった〔The Vee-Jay International Story 〕。その後同レーベルは新録は行わず、既存のレコーディングの再発を手がけている。チアペッタは1990年に引退し、新経営者ダニエル・プリツカーの下で、レーベルはLLP (有限責任事業組合)形式に生まれ変わった〔The Vee-Jay Limited Partnership (1990 - ) by Mike Callahan 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヴィージェイ・レコード」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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