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三遊亭 花圓遊(さんゆうてい かえんゆう、安政3年5月(1856年6月ないし7月) - 没年月日不詳・大正中期)は、落語家。本名は佐々木安太郎。 == 人物 == 若い頃は武家屋敷へ奉公に出ていたが、その時に妾とあいびき中の所を主人に見つかって逃走中に足を斬られたことから、その古傷のため以後は常に足を悪くしていた。 当初は鶴澤文左衛門の名で義太夫の三味線引きをしていた。明治10年代前半に初代三遊亭圓遊の弟子になって三遊亭花遊と名乗る。明治10年代後半に4代目桂文楽門下に移ってかん治となった後、1887年には幇間に転向して十寸見花州の名で吉原で活動していたが、復帰して三遊亭圓窓を名乗り、1889年1月には雀家翫之助に改名した後、1890年頃に花遊に戻って1898年3月には三遊亭花圓遊で真打に昇進する。 一時「面長家左圓治」と改名しようとした。これは、歌舞伎役者の市川猿之助の屋号である「澤瀉屋(おもだかや)」と市川左團次の名からヒントを得て考え出した名であるが、歌舞伎の側から苦情が出たため実現しなかった。後にかつての師匠の名である桂文楽の名跡を狙ったがこれは5代目桂才賀(5代目桂文楽)との襲名争いに敗れた。 1903年7月には3代目柳家小さん門下で柳家三語楼(本来の初代、通説では代外)となるが、不都合があって東京にいられなくなり、花圓遊の名で地方廻りをするうちに、浪花節などとの合同で「自由演芸会」という会派を立て、8月に「團洲楼圓馬」の看板を上げる。(烏亭焉馬や三遊亭圓馬と関係はない) しかし長続きせずに結局は花圓遊の名に戻って仙台に拠点を移し、最後は幇間をしていたという。1915年頃までは活動が確認されているが、以後の消息は不明。 「舶来の馬」というあだ名があったが、これは背が高かったことから名づけられたという。 花好(後に4代目圓生門下で圓窓を名乗るが、代数からは外されている)、花圓治、花柳、花蝶斎、花扇、花山などの門下生がいた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三遊亭花圓遊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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