|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 三 : [み] 1. (num) three ・ 朝 : [あさ, ちょう] (n-adv,n-t) morning
三遊亭 遊朝(さんゆうてい ゆうちょう)は、落語家の名跡。 当代遊朝は『古今東西落語家事典』では5代目とされているが、その他4代目や3代目と記載されているものもある。遊朝で真打になった人物は当代を含めて過去3人いるが、その他にも遊朝を名乗った人物の存在が確認されており、誰が何代目であるかなどを定義するのは難しい。以下代数を付けずに、過去遊朝を名乗った人物を列記する。 #後の3代目三遊亭圓橘。本名は佐藤三吉。 #初代三遊亭圓遊門下にいた遊朝。詳細は全く不明。 #5代目立川ぜん馬が若い頃に一時期名乗っていたという記録がある。本名は鳥井兼吉。 #通称「お茶兼の遊朝」。本名は小林兼次郎。下記にて詳述。 #後に式亭三馬を名乗る。本名は宇田川勝太郎。 #当代。本名は篠崎邦雄。下記にて詳述。 == お茶兼の遊朝 == 三遊亭 遊朝(さんゆうてい ゆうちょう、慶応2年(1886年10月) - 大正2年(1913年)8月2日)は、主に明治後期に活躍した落語家。通称「お茶兼の遊朝」。 前身は書生の俳優。明治20年代初め2代目小さん門下で小かねを名乗り、明治20年代後半に4代目橘家圓喬門下で喬雀となる。1899年頃に花圓喬に改名した後、1901年頃に初代三遊亭金馬(2代目三遊亭小圓朝)門下に移って圓輔に改名。1907年頃に友朝となり、1910年2月に真打昇進し、1912年6月に遊朝に改名した。 音曲の腕が良く、また仲間の物真似を売りにしていたという。 「お茶兼」の由来は、茶道を好んでいたからとも、チャラチャラしていたからとも言われる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三遊亭遊朝」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|