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フーゴ・マキビ・エノミヤ=ラッサール(Hugo Makibi Enomiya-Lassalle, 1898年11月11日 - 1990年7月7日)は、ドイツ生まれのイエズス会員で、カトリック教会の司祭、宣教師。日本語表記では姓と名がそれぞれ、フーゴーともラサールとも、あるいはまれにラッサルとも表記される。1948年(昭和23年)に日本に帰化しており、日本名は愛宮真備(えのみや まきび)。英語版ウィキペディア “Hugo Enomiya-Lassalle”にある英語表記 Aiun-ken は、ラッサールの禅仏教上での名乗り愛雲軒の音訳。 キリスト教の聖職者として初めて、坐禅を宗教生活のなかに実践的に導入した。1945年(昭和20年)8月6日に広島市の幟町天主公教会(幟町教会)で原子爆弾の投下に会い直接被爆したことで、犠牲者への慰霊のためだけではなく、世界平和を目指した祈念の場の必要性を痛感し、ヒロシマの地に世界平和記念聖堂を建設することに尽力した。それら広島の文化福祉の発展に広く貢献した功績が認められて、1968年(昭和43年)4月広島市の名誉市民として顕彰されている〔、4-5頁。〕〔当時の山田節男広島市長から1968年(昭和43年)4月1日に広島名誉市民として顕彰された。「広島市名誉市民条例」が1962年(昭和37年)に制定されてから4人目であり、帰化人や外国人としては初めての受章である(石丸紀興1988、226頁)。昭和43年4月15日付の広島市報第264号に掲載された公告はその理由として、世界平和記念聖堂建設と日本国内外での募金活動、およびヒロシマの実情を広く知らしめるローマ、ドイツ、フランス、スイス、アメリカ、アルゼンチン、ブラジルなどでの数百回に及んだ海外講演活動のほか、戦前戦後にかけての上智大学、広島陸軍幼年学校、広島高等師範学校、広島文理大学でのドイツ語教育、さらにエリザベト音楽大学、広島学院中学校、広島学院高等学校設立への尽力またそこでの教育、その他教誨師としての活動、広島日独協会での交流活動、広島市郊外に禅道場を建設し実践や著作研究において仏教及び神道とキリスト教の相互理解を進めたことなど、10項目にわたってその功績をあげている。〕。 帰化名にもよく現れているように日本文化に対する造詣が深く、特に日本人の霊性への関心から禅宗に深い興味を抱き、自ら参禅しただけでなく他のキリスト教関係者にも積極的に坐禅を勧めた。日本国外ではむしろ、その理論と実践において「カトリック禅」〔、6頁。〕ともいえる新境地を開拓したことで知られる。 == 生涯 == === 生い立ち === 1898年(明治31年)11月11日にドイツ帝国ヴェストファーレン地方(現在のノルトライン=ヴェストファーレン州)エクステンブロック(Externbrock)で誕生。祖先はおそらくフランスから亡命したユグノーであると考えられている〔、4頁。〕。小学校4年生からギムナジウムに進んだ後、その8年目(Unterprima)に徴兵されて、第一次世界大戦中西部戦線に送られた。負傷と関節リウマチのために何度か入院したが、1919年(大正8年)に高等上等兵(Obergefreiter)で除隊。2級鉄十字勲章受章〔、5頁。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フーゴ・ラッサール」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Hugo Enomiya-Lassalle 」があります。 スポンサード リンク
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