|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 中 : [なか] 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among ・ 倉 : [そう] 【名詞】 1. warehouse 2. cellar 3. magazine 4. granary 5. godown 6. depository 7. treasury 8. elevator ・ 姉 : [あね] 【名詞】 1. (hum) older sister ・ 姉妹 : [しまい] 【名詞】 1. sisters ・ 妹 : [いもうと] 【名詞】 1. (hum) younger sister
中倉姉妹(なかくらしまい)とは、将棋の女流棋士である中倉彰子、中倉宏美姉妹のことである〔将棋の女流棋士姉妹は他に大庭姉妹(大庭美夏、大庭美樹姉妹)がいるが、姉・美夏は2006年12月に引退している。〕。現在はいずれも日本女子プロ将棋協会(LPSA)に所属。血液型は共にO型。東京都府中市出身。映画「とらばいゆ」(2002年 大谷健太郎監督)では姉妹それぞれ将棋監修〔この映画で使用した棋譜はすべて姉妹いずれかの過去の棋譜である。姉彰子は姉役の瀬戸朝香の演技指導を務めるなどした。〕および端役での出演をした。〔大谷監督が勝負の世界に生きている女性の夫がどのような生活を送っているのか考えていたときに雑誌で中倉姉妹を目にし、そのことがきっかけとなって女流棋士姉妹が主人公のこの映画ができた。そういう意味で「中倉姉妹がモデル」と言われることがあるが、「彼女たちをモデルにはしていないが、映画の参考になることを色々と教えてもらえた。」と大谷監督が語っているように、人物設定やストーリーなどは完全なフィクションの作品であることに注意しなければならない。〕 == 姉妹の歩み == === プロになるまで === * 彰子6歳(小学1年生)、宏美4歳の頃、将棋好きの父〔姉妹が中学生の頃には親子の棋力が逆転することとなる(「Positive de Go!」2007年10月5日配信分より)。「父は、私がプロになった今でも指したがりますね。」「父は新聞や雑誌の棋譜を切り抜いて戦法別に分類したりして、すごく熱心なんだけど、全然強くなってない、分類が趣味(笑)。」と宏美は語っている。〕(アマチュア三段)から将棋の手ほどきを受け始める。姉妹の棋風は父の影響を受けている〔「Positive de Go!」2007年12月14日配信分より。〕。 * 父に連れられ姉妹で文化センターの子供教室(詰将棋作家・岡本眞一郎主催)へ通う(宏美5歳頃)。 * 父の将棋指導はスパルタ的であった。クリスマスのプレゼントは、将棋道場であと何連勝すれば、姉妹であと何回対局すればもらえるとされた〔「positive-girls メールマガジン Vol.3」より。〕。また大晦日は将棋が指し終わるまではNHK紅白歌合戦を見ることができないため、泣きながら将棋をしていた〔「Positive de Go!」2007年12月28日配信分より。〕。ただし、勉強においても妥協を許さない指導法(例:「とばす」ことを絶対認めず、間違えた問題は繰り返し解かせる)で、彰子が学校の二等辺三角形の授業についていけなくなりそうになってからは父の指導は勉強と将棋の選択制になり姉妹は勉強もよく教わっていたことから、本当に教育熱心な父であったと彰子はのちに述懐している〔「positive-girls メールマガジン Vol.37」(2009年6月27日)より。〕。 * 小学生の頃(宏美3年生頃)から大会に出始める。 * 女流のアマチュア大会で優勝したら女流育成会に入るという父親の方針〔当時の世間もしくは棋界の雰囲気は、「優勝するような子がプロにならないという選択がないって感じだったよね。 」(大庭美夏)、「そうですね、もうルート的な感じでしたね。 」(宏美)というものだった。〕により、小学6年生でアマ女流王将になった宏美が中学1年で先に育成会に入る(在籍:1991年度-1995年度前期)。その一年半後、中学3年・高校1年で女流アマ名人になった彰子も高校1年生で育成会入り(在籍:1992年度後期-1993年度後期)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中倉姉妹」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|