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中倉清 : ミニ英和和英辞書
中倉清[なかくら きよし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
: [そう]
 【名詞】 1. warehouse 2. cellar 3. magazine 4. granary 5. godown 6. depository 7. treasury 8. elevator

中倉清 : ウィキペディア日本語版
中倉清[なかくら きよし]

中倉 清(なかくら きよし、1910年明治43年)9月24日 - 2000年平成12年)2月9日)は、日本剣道家段位は剣道範士九段、居合道範士九段(全日本剣道連盟)。流派神道無念流剣術夢想神伝流居合。職業は警察官宮内省皇宮警察鹿児島県警察)。
鹿児島県出身。大道館武道専修学校を第一期生として卒業後、上京して中山博道の道場・有信館に入門する。剣道の公式戦で69連勝を打ち立て、「昭和の武蔵」、「戦うに敵なし」と謳われた。第二次大戦後は全日本東西対抗剣道大会で9人を勝ち抜く記録を打ち立て、「東西対抗の」の異名をとった。
関東管区警察学校教授一橋大学中央大学防衛医科大学校剣道部師範鹿児島県剣道連盟理事長全日本剣道連盟審議員などを歴任した。
== 生涯 ==

=== 生い立ち ===
鹿児島県肝属郡東串良村農家の四男として生まれる。中倉家は士族であったが、明治維新後は農業で身を立てた。清が5歳とのときに父次吉が破傷風で死亡し、その後何年間か祖父母に育てられる。他の兄弟と違って清は気性が激しく、祖父の権蔵は自分の性格に似ている清を特に可愛がった。権蔵は1877年(明治10年)の西南戦争の際、刀を担いで西郷隆盛軍に加わろうとしたが、西郷軍は童顔を見かねて従軍を許さなかったという。
清は運動神経にも恵まれ、駆けっこ相撲喧嘩も負けたことがなかった。なにより祖父がそれを許さなかった。小学校の高等科に上がる頃には「暴れごろ」と言われ、郡内で清を知らない者はいなかったという。他の村から悪童がやってくると、に乗って駆けつけ、の音がすると悪童たちが退散して行くのが村人の見慣れた光景だった。兄の猛は陸上競技と剣道の選手で、特に短距離走では長く県下の記録保持者となり、後に剣道も範士七段となる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「中倉清」の詳細全文を読む




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