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中山 圭以子(なかやま けいこ、1964年8月28日 - )は、東京都出身の歌手。旧芸名中山 圭子名義で1980年2月1日、CBSソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)から『パパが私を愛してる』でアイドルとしてデビュー。アイドルデビュー当時の所属プロダクションは、サンミュージックプロダクション。父は俳優の佐竹明夫。母方の祖父は映画監督の冬島泰三〔ヒストリー第一話 〕。 == 来歴・人物 == 1975年、父の佐竹明夫と共に出演したフジテレビ『オールスター家族対抗歌合戦』がきっかけでスカウトされ、1976年7月21日、本名の中山圭以子名義で太田裕美の作詞による『そよ風のベンジー』(アメリカ映画『ベンジー』の日本でのタイアップ主題歌)でCBSソニーから歌手デビューした。学業に専念するため、学研の学習雑誌のモデルの仕事をこなす以外は芸能活動をセーブしたが、サンミュージックプロダクションから熱烈なスカウトを受け〔、中学卒業と共に本格的に大型新人アイドルとしてデビューすることが決定した。1980年2月1日、満を持してユニリーバのシャンプー「ティモテ」のCMタイアップ曲として、中山圭子の芸名で、CBSソニーから酒井政利のプロデュース、作詞・阿木燿子、作曲・南こうせつのコンビによる『パパが私を愛してる』で大々的にデビューするはずだったのだが、「ティモテ」に使われている成分の一つが日本では認可されていないことがわかり、土壇場で発売中止となってしまい、CMも流されず、曲もヒットしなかった〔ヒストリー 第二話 〕。その後も本人出演のタイガー魔法瓶CMのタイアップ曲を歌うこととなるが、ヒットには恵まれなかった。1981年、サンミュージックプロダクションを退社し、芸能活動を休止〔〕。オールスター家族対抗歌合戦の審査員だった声楽家の立川清登に弟子入りし、声楽を学ぶこととなった〔。1982年、立川清登の個人事務所から本名の中山圭以子名義で再デビュー。1984年から1988年まで、NHK教育『なかよしリズム』で歌のお姉さんとしてレギュラー出演。その後は童謡等を歌うファミリーコンサートで活躍した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中山圭以子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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