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中支那方面軍(なかシナほうめんぐん)は、大日本帝国陸軍の方面軍の一つ。 == 沿革 == 1937年(昭和12年)、盧溝橋事件後の緊張の中、〔張治中により起されたと言われるユン・チアン、ジョン・ハリディ共著『マオ 誰も知らなかった毛沢東(上)』土屋京子訳、講談社、2005年、341-342頁〕第二次上海事変を受けて、上海派遣軍・第10軍が在留邦人保護のため相次いで派遣された。参謀本部は不拡大の方針であったが戦闘は継続され、戦域が内陸部に拡大していった。 その結果、中支那方面軍は、新たにこの地域を管轄する上級司令部として11月7日に編成開始、司令官には上海派遣軍司令官松井石根大将が就任。その作戦地域は蘇州と嘉興を結ぶ線から東と限定された。しかし、11月19日には独断でこれを越え無錫と湖州の攻撃を準備し〔『南京戦史資料集』偕行社、1989年、417頁〕、11月22日には南京攻略の必要性を上申している。それに答える形で、11月24日に戦域制限が廃止、12月1日に大本営戦闘序列に編入され、正式に南京攻略が下令され〔『南京戦史資料集』偕行社、1989年、417-418頁〕、12月4日から12月13日にかけて南京攻略戦が行われた。 翌1938年(昭和13年)2月14日に、再編制により隷下の両軍と共に中支那方面軍は廃止された。新たに中支那派遣軍が編制され、2月10日に北支那方面軍に編入された第114師団を除く隷下の全ての師団の指揮を引き継ぎ〔『南京戦史資料集』偕行社、1989年、420頁〕、華中での戦闘を継続した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中支那方面軍」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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