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中田 香織(なかた かおり、旧姓:松岡。1961年1月26日 - 2008年8月16日)は静岡県出身のイスラーム学者。専門はイスラーム学ならびにイスラーム地域研究。元山口県立大学国際学部非常勤講師。ムスリム名はハビーバ。夫は同じイスラーム学者の中田考。 == 来歴・人物 == 1961年1月26日、静岡県にて生まれる。京都大学文学部卒業。卒業論文は、アルベール・カミュの小説・『異邦人』。京大卒業後はフランスに留学し、1990年12月2日にパリのモスクを訪れた事がきっかけで、イスラーム学を志した。 1991年1月、ムハンマド・ハミードッ=ラー(『イスラーム概論』の著者)立ち会いの下、イスラームへ入信。1991年8月~1992年4月までエジプトに滞在し、そこで中田考と知り合い結婚。その後帰国し、1992年7月より月刊『ムスリム新聞』を発刊して、世界的に孤立しやすかったムスリムを結びつける役割を果たした。『ムスリム新聞』は2006年5月20日の第166号を以て幕を閉じた。 実生活では夫・中田考の転勤に伴い、世界各地を転々とした。サウジアラビアではハッジ(メッカへの巡礼)に参加し、神戸では阪神・淡路大震災に被災。1997年~1998年に滞在したカイロでは、サィイド・アブドゥッラー・アル=ジャゥハリー師からクルアーン読誦(ハフス・アン・アースィムによる読誦法)の免状を授与された。1999年~2002年まで山口県立大学国際学部非常勤講師(イスラーム教文化)を務めた。夫と同様の主張をするムスリムであり、その後アラブ イスラーム学院で、同性愛者、未婚の母、独身、シングルマザーなどといった生き方を批判し、伝統墨守的生き方をも退け、それら2つに代えてイスラーム的女性観をオルタナティブとして紹介するなど彼女の考える『イスラーム』を伝えるために積極的に活動を行った〔イスラーム的女性解放 〕。また、タジュウィード(クルアーンの読誦学)教育に力を入れ、教則本『ブグヤ・イバード・アル=ラフマーン』を翻訳・出版した。クルアーンのタフスィールの翻訳でも業績を上げ、標準日本語によって読める初のタフスィールを、夫中田考の監訳の元、アラビア語のタフスィール・アル・ジャラーラインの翻訳という形で、提供した。 2002年より夫の同志社大学神学部教授着任に伴い、京都に移住。講演活動やムスリムのための勉強会などを活発に行っていたが、病気に倒れ、2008年8月16日に京都にて47歳の若さで死去した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中田香織」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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