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中野 正志(なかの まさし、1948年2月29日 - )は、日本の政治家。日本のこころを大切にする党所属の参議院議員(1期)、日本のこころを大切にする党幹事長。元衆議院議員(3期)。 == 来歴・人物 == 宮城県塩竈市生まれ。父親は消防士であった〔。東北学院中学校・高等学校を経て、東北学院大学法学部卒業〔中野まさしプロフィール 中野まさし公式ウェブサイト、2010年5月27日閲覧〕。中学校、高校時代には土木作業のアルバイトに励んだ。大学1年生時に学内の弁論大会で優勝した〔。 大学卒業後には、約15年間に渡って国会議員秘書を務めた〔。三塚博の秘書となる。1983年、宮城県議会議員に当選。以後、3期務める。2期目途中の1989年には無所属で参議院議員選挙に立候補したが落選。 1996年10月の第41回衆議院議員総選挙で宮城2区から自民党公認で立候補し初当選。当選後は秘書として仕えた三塚が率いる清和政策研究会に入会。2000年6月の第42回衆議院議員総選挙では同じく無所属候補として参院宮城で敗北した民主党新人の鎌田さゆりに敗れ落選。 2003年の第43回衆議院議員総選挙では、小選挙区で敗れたが比例東北ブロックで復活当選し、国政に復帰。翌年12月、鎌田が公職選挙法違反事件で連座制のため、議員辞職。2005年4月の衆議院補欠選挙に立候補することも検討したが、断念。自民党宮城県議会議員の秋葉賢也の当選に尽力。同年9月の第44回衆議院議員総選挙では比例東北ブロックに回り、名簿順位2位に記載され、3選。2007年、第1次安倍改造内閣の経済産業副大臣に就任。 2009年8月の第45回衆議院議員総選挙に自民党から出馬。公明党の推薦も受けた〔衆院選小選挙区 自民128人推薦 2009年8月7日公明新聞〕が、落選した。2010年7月、第22回参議院議員通常選挙に比例区の自民党候補として出馬したが落選。 その後、たちあがれ日本宮城2区支部長に就任し、2012年6月28日に自民党へ離党届を提出。同年7月13日に離党が了承された。 2012年12月の第46回衆議院議員総選挙には日本維新の会公認で宮城2区から出馬したが落選。 2013年7月の第23回参議院議員通常選挙に日本維新の会から比例区で出馬し当選、国政に復帰。地盤の宮城では26,320票、全国合計で32,926票獲得し党内順位5位で当選した。 2014年8月、日本維新の会の分党に伴い次世代の党に参加。 次世代の党が第47回衆議院議員総選挙で惨敗したことを受けて、参議院議員ながら衆議院の国会対策委員長に就任した。2015年11月11日、同党の両院議員総会で幹事長を兼務する人事が内定し11月16日から幹事長兼国対委員長〔 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中野正志」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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