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中院通躬 : ミニ英和和英辞書
中院通躬[なかのいん みちみ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
: [つう]
  1. (adj-na,n) (1) connoisseur 2. authority 3. (2) counter for letters, notes, documents, etc. 

中院通躬 : ウィキペディア日本語版
中院通躬[なかのいん みちみ]

中院 通躬(なかのいん みちみ)は江戸時代中期の公卿歌人中院家家格大臣家)第18代当主。
==生涯==
寛文8年(1668年)、中院通茂(権大納言、のち内大臣)の長男として生まれる。翌年叙爵、延宝元年(1673年従五位上に進む。延宝8年(1680年)に元服、従四位下に進んだ。その後、左近衛少将・左近衛中将を経て、元禄元年(1688年)に参議となる。同5年(1672年)に権中納言。翌年には正三位に進み踏歌外弁となる。同13年(1700年)には東山天皇の勅により、霊元法皇第十皇子の沢宮寛敦親王家別当となる。
父通茂から歌学を受け継ぎ、父とともに霊元院歌壇で重きをなした(通躬は霊元天皇の和歌の弟子で、詠草勅点を多数施されている)。正徳5年(1715年)には播磨国曽根村(現在の兵庫県高砂市)にある菅公を祀る曽根天満宮に和歌を集めて奉納している。また父通茂とともに漢学を熊沢蕃山に学んだ(通茂は蕃山門下の堂上四天王とも称された)。その他嵯峨釈迦堂供養伝奏、神宮伝奏などに歴任した。
享保3年(1718年)武家伝奏、同11年(1726年)には内大臣に任ぜられ、さらに翌々年には従一位に昇る。元文3年(1738年)には異例の右大臣に任ぜられるが、辞している。大臣家の極官内大臣であり、近世において右大臣任官の例は歴代当主の中では三条西実条と通躬のみである〔『日本史大事典 3』(平凡社1993年、ISBN 4582131034)「三条西実条」(執筆:高埜利彦)。〕。翌年将軍徳川吉宗公家の家業奨励の意味で、公家衆から和歌の名人を選抜し名所和歌の詠進を所望した際も、関白一条兼香から推薦され提出している〔元文3年は五十年ぶりに反幕府の象徴的な儀式大嘗会が行われた年であり、幕府と朝廷は緊張状態にあった。元文4年正月には尾張藩主徳川宗春が蟄居謹慎となっており、『徳川実紀』によれば幕府は関白一条兼香に異例の献金を行なっている。和歌は五十年前に大嘗会を行った霊元天皇の象徴であり、一条兼香も中院通躬等の四人はすべて霊元歌壇の公家たちである。〕。この年12月に薨去。享年72。正徳5年(1715年)に子の通藤がわずか6歳にして夭折したため三弟の久世通夏の子を婿養子(通枝)とした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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