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丸の内御三家(まるのうちごさんけ)は、Jリーグ開始以前の日本サッカー界において、日本サッカー協会 (JFA) および日本サッカーリーグ (JSL) の意思決定に強い影響力を持っていた、下記の3社で構成される派閥を指す俗称である〔岡田 2002、284頁〕。いずれも東京都千代田区の丸の内に本社を構えていたことに由来する〔。 * 古河電気工業サッカー部(ジェフユナイテッド市原・千葉の前身) * 三菱重工業サッカー部(後の三菱自工サッカー部、浦和レッドダイヤモンズの前身) * 日立製作所本社サッカー部(柏レイソルの前身) == 歴史 == === 御三家の台頭 === 第二次世界大戦後から1960年代頃のJFAは、東京大学OBで会長を務める野津謙と理事長を務める竹腰重丸を中心に据え、中央大学OBで常務理事を務める小野卓爾が実務を取り仕切り、大学サッカー界のOBが協会内の主要役員を務めていた〔洋泉社 2008、34頁〕。小野は実務能力に優れる反面、協会内の業務を一手に担っていたことから独断専行の側面もあった〔洋泉社 2008、36頁〕。その様な情勢の中、古河電工、三菱重工、日立製作所といった企業チーム出身者が主導的な役割を果たし、1965年に国内のアマチュアスポーツ界として初の全国リーグであるJSLが創設された〔。同リーグはJFAの組織下に置かれたが、実質的に独立組織として運営され、協会内および日本サッカー界の新興勢力となった〔。一方、企業チーム出身者の多くは前述の大学OB達とは先輩後輩の間柄にあったものの、企業を代表する立場を採っていたことから両者の利害は一致することはなく〔洋泉社 2008、35頁〕、JSL初代総務主事の西村章一(古河電工)や2代総務主事の重松良典(東洋工業)は協会首脳陣に対して批判的立場を採っていた〔。 こうした経緯から1970年代に入るとJSL側から協会内改革を推し進めようとする動きが活発化〔したが、改革の必要性を説いたのは、かつて日本代表のコーチを務めていたデットマール・クラマーだっともいう〔。三菱化成工業社長でJFA副会長を務めていた篠島秀雄を新会長に擁立する構想は篠島の急逝により頓挫し〔、旧勢力は政権を維持し続けたが、1976年に行われた役員改選により野津・竹腰・小野の首脳陣の退陣が決定〔洋泉社 2008、37頁〕。新日鉄社長の平井富三郎を新会長に迎え、古河出身の長沼健が専務理事に就任するなど主要役員の若返りが図られた〔。この1976年の政変について「改革派によるクーデター」とも評されるが、旧勢力の退陣は既定路線であったとも指摘されている〔。 この後、JFAは企業チーム出身者が実権を握ることとなり〔、会長の平井と専務理事の長沼の下でJFAは慢性的な赤字財政からの脱却が図られ、後の財政基盤を構築したと評される。一方で長沼以下、メキシコ五輪当時の指導者や選手が協会内の中枢部を占め、影響力を行使するに至った点から「メキシコ組」とも形容された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「丸の内御三家」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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