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久世 広宣(くぜ ひろのぶ、永禄4年(1561年) - 寛永3年3月19日(1626年4月15日))は安土桃山時代の武将、江戸幕府旗本寄合。久世長宣の子。室は今川家家臣奥原経重の娘。兄弟に久世重利(宇右衛門)。子女に久世広当、久世勝宣、久世広之、久世重利、大久保荒之助忠当室など。通称三四郎、三左衛門。 三河国額田郡に住していた小野十郎高広の子高長が母方の姓を称し久世家の祖となった。父の長宣は三河一向一揆で宗門側につき徳川家康に敵対して討ち死をした。この時母は2歳であった広宣を連れて遠江国に移り住む。16歳の折り、家康に父の罪を赦され、大須賀康高率いる「横須賀衆」として、渥美勝吉、坂部広勝らとともに武田勢との戦いに武勇を誇った。のちに康高の没後は松平忠政に属したのち、徳川家康の直参となり、下総・上総国2500石の旗本に取り立てられた。大坂の役に従軍した。 寛永13年(1636年)に江戸開幕とともに駿河国より江戸に移った本妙寺が全焼し、本郷丸山の代替地へ移転させた。墓所は本妙寺にある。(明治43年に豊島区巣鴨に移転している。)法名は真性院日詠。 長男の三四郎広当(ひろまさ)は、寛永3年(1626年)に下総国海上郡内500石を弟広之に分与しているが、新田開墾により7000石余の旗本となった。広之は、のちに小姓より累進し寛文9年(1669年)大名に列し、関宿藩主となり、若年寄、老中を歴職した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「久世広宣」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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