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久喜藩[くきはん] 久喜藩(くきはん)は、武蔵国埼玉郡久喜本町(現在の埼玉県久喜市久喜中央および本町、久喜本。古くには久喜本村とも)に存在した藩。藩庁は久喜陣屋(字荒鎌)。 == 藩史 == 譜代大名の米津政武は武蔵をはじめ、下総国・河内国・摂津国・上総国などに1万2000石の所領を領していた。だが、貞享元年(1684年)に武蔵埼玉郡・多摩郡・下総国印旛郡をはじめとする領地替えを行なわれて、久喜に陣屋を置いたことから、久喜藩が立藩された。政武は貞享4年(1687年)5月18日に寺社奉行となり、元禄11年(1698年)11月11日に隠居して家督を長男の米津政矩に譲った。しかし政矩は元禄16年(1703年)1月15日に父に先立って早世する。このため、弟の米津政容が第3代藩主となった。政容は大坂定番にまでなっている。第4代藩主・米津政崇も大番頭・大坂定番を務めている。第5代藩主・米津通政の代である寛政10年(1798年)7月6日、武蔵国内の所領6400石を出羽国村山郡内に移されたとき、久喜陣屋も廃して長瀞陣屋を置いたため、以後、米津氏は長瀞藩主として存続した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「久喜藩」の詳細全文を読む
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