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久米 成夫(くめ なりお、1882年(明治15年)12月1日 - 1954年(昭和29年)9月29日〔『宮之城人物伝 第1集』75-76頁。〕)は、日本の内務官僚。政友会系官選県知事、鹿児島市長。 ==経歴== 鹿児島県薩摩郡山崎村麓大窪(現さつま町)で、山崎村長を務めた久米岳、シメ夫妻の長男として生まれる〔。鹿児島県立川内中学校、第七高等学校造士館(首席卒業)を経て、1910年7月、東京帝国大学法科大学を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し千葉県属となる〔〔『新編日本の歴代知事』1068頁。〕〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』197頁。〕。 その後、千葉県試補、神奈川県愛甲郡長、同県理事官・知事官房主事、同県商工課長、秋田県理事官・教育兵事課長、岩手県警察部長、神奈川県警察部長、山形県内務部長、岩手県書記官・内務部長、広島県書記官・内務部長などを歴任〔〔。 1928年6月、大分県知事に就任。1929年7月、濱口内閣の成立により知事を休職〔。1931年12月、愛媛県知事に就任〔『新編日本の歴代知事』924頁。〕。1932年6月、奈良県知事に転任。不況対策に尽力〔『新編日本の歴代知事』722頁。〕。1934年2月1日、依願免本官となり知事を辞職し退官した〔『官報』第2124号、昭和9年2月2日。〕。 その後、満州国に転じ、奉天省総務庁長、満州国国務院総理・鄭孝胥のもとで文教部総務司長などを務めた。1940年7月から1944年7月まで鹿児島市長を務めた。晩年は故郷の生家で暮らした〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「久米成夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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