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乙黒 靖雄(おとぐろ やすお、1968年7月22日 - )は、東京都出身の日本の柔道家。現役時代は60kg級の選手。身長168cm〔「平成6年度後期男女強化選手名鑑」近代柔道 ベースボールマガジン社、1995年2月号〕。 == 人物== 池内道場で柔道を始めた。三鷹市立第一中学校から東京農業大学第一高等学校へ進むが、この当時大きな実績を上げることはなかった〔。日本体育大学に進むと、1年の時に全日本学生柔道体重別選手権大会(正力杯)60kg級で3位になった。2年の時には全日本ジュニア柔道体重別選手権大会(新人体重別)で優勝を飾った〔。4年の時には講道館杯全日本柔道体重別選手権大会、全日本選抜柔道体重別選手権大会、正力杯で3位になった。正力松太郎杯国際学生柔道大会の決勝では韓国の金鐘萬と対戦すると、肘を負傷したため医師の診断を受けた。この際に医師がコールドスプレーをかけてしまったために、試合中の治療行為を禁じるルールに抵触して棄権負けとなった〔「第9回正力松太郎杯国際学生柔道大会」近代柔道 ベースボールマガジン社、1991年3月号〕。1991年には香川スポーツ振興財団の所属となると、講道館杯と体重別で3位だった〔。1992年にはドイツ国際で2位になると、講道館杯でも決勝で世界チャンピオンの越野忠則に1-2の微妙な判定で敗れた。選抜体重別では決勝で越野を開始30秒ほどの袖釣込腰で一本勝ちして優勝を飾った。この際の優勝インタビューでは、「メダルへの挑戦」だとバルセロナオリンピックへの意気込みを語っていたものの、国際大会での実績などにより無情にも代表には選出されなかった〔「全日本選抜柔道体重別選手権大会」近代柔道 ベースボールマガジン社、1992年7月号〕。嘉納杯では3位にとどまった。1993年の選抜体重別では決勝で1992年世界ジュニア柔道選手権大会チャンピオンである明治大学2年の園田隆二に敗れて2連覇はならず1993年世界柔道選手権大会代表にはなれなかった〔。アジア柔道選手権大会でも2位に終わった。1994年には総合警備保障の所属に変わった。選抜体重別では決勝で鹿屋体育大学大学院の原田堅一に敗れた〔。グッドウィルゲームズでは2位だった。世界柔道団体選手権大会(ワールドカップ国別団体戦)と嘉納杯では3位だった〔。1995年のハンガリー国際で優勝するが、選抜体重別では決勝で園田に敗れて2位だった〔。引退後は帝京科学大学柔道部の部長兼監督となった〔帝京科学大学 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「乙黒靖雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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