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九越フェリー : ミニ英和和英辞書
九越フェリー[く]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [く]
  1. (num) nine 
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

九越フェリー ( リダイレクト:東日本フェリー ) : ウィキペディア日本語版
東日本フェリー[ひがしにほんふぇりー]

東日本フェリー株式会社(ひがしにほんフェリー)は、かつて存在した国内フェリー事業・国際フェリー事業・船舶貸渡業などを営む海運会社。本社所在地は、北海道函館市港町3-19-2。
== 東日本フェリー(初代) ==
東日本フェリーは、大正末期に炭坑生産で栄えた海に全く面していない空知管内にある赤平市(当時の赤平町)で陸運業・商業を興し、昭和初期に稚内港利尻礼文間の航路(ハートランドフェリーの前身)を開設させ、その後も北海道内で海運・倉庫業など事業を拡大させた実業家蔦井與三吉(石川県出身)が、1961年に出資母体となる道南海運の取締役社長に就任したのが源流である。
道南海運は1964年に函館港-大間航路をカーフェリーで開設したが、同じころに青森の財界が青道フェリーを設立し青函航路の就航を計画。しかし路線免許の獲得が出来ず同社は計画を断念し、道南海運と共同で出資を行い東日本フェリーを設立(蔦井與三吉が社長就任、会社更生法申請まで蔦井家による同族経営)。道南海運は青函航路を東日本フェリーへ集約させ、蔦井家のデベロッパー部門として機能した「蔦井本社」と1972年に合併し、消滅している。
その後は室蘭港(北海道)福島港・苫小牧港三厩港・岩内港・八戸港仙台港大洗港直江津港などに進出し、北海道・本州間のフェリー航路を順次開設。さらに陸送子会社や道南自動車フェリー(後年の一部事業承継会社)、九越フェリー(ハヤシマリンカンパニーとの合弁)の設立、バブル期栗子国際スキー場の出資やケーブルテレビ事業(株式会社札幌ケーブルテレビジョン・略称SCAT)も手がけ、蔦井倉庫ツタイ商事を中核とするツタイグループの下で北海道資本では最大手の海運会社「東日本フェリーグループ」を形成するまでに拡大した。
東日本フェリーグループ各社(1994年頃)
* 東日本フェリー株式会社(函館市)
* 道南自動車フェリー株式会社(函館市)
* 東日本海陸輸送株式会社(上磯郡上磯町
* 東日本輸送株式会社(室蘭市)
* 東日本運輸株式会社(札幌市東区)
* 東日本物流株式会社(茨城県東茨城郡美野里町
* 北海道航空株式会社(北海道札幌市)
* 東日本エンタープライズ株式会社(北海道札幌市)
* 東日本観光サービス株式会社(北海道札幌市)
* 株式会社札幌ケーブルテレビジョン(北海道札幌市)
* 板谷観光開発株式会社(山形県米沢市
* 株式会社ホテル・イーストジャパン(北海道苫小牧市)
1980年代以降は、長崎県に本社を置くハヤシマリンカンパニー船舶整備公団(現:鉄道建設・運輸施設整備支援機構)からの貸渡船借受(船のリース)や共同所有による新造船の導入が行われ、このうち「ゆにこん」は日本で初めて定期就航した高速フェリーであった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「東日本フェリー」の詳細全文を読む




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