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二条 師基(にじょう もろもと、正安3年(1301年) - 正平20年/貞治4年1月26日(1365年2月17日))は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての公卿。南北分裂後は南朝方に属し、正平一統の際には後村上天皇の下で関白を務めるなど、南朝政権における重鎮の一人であった。 == 生涯 == 父は関白二条兼基〔『尊卑分脉』〕。母は蔵人権頭源兼任(花山源氏)の娘〔『公卿補任』正和元年(1312年)の条〕である。父について、『公卿補任』正和元年(1312年)の条は、兼基の子である道平とする一方で、兼基が死去した建武元年(1334年)の条では、道平と師基が8月22日に「父」の喪に服した旨が記されている。また、道平と師基の年齢差を考えても親子より兄弟とした方が自然である。また、正応2年(1320年)に道平に嫡男良基が誕生して以後、師基の昇進が緩やかになったことが指摘されており、良基誕生以前は二条家の後継者として扱われ、道平の猶子として位置づけられていたと考えられる〔木藤才蔵 『二条良基の研究』(桜楓社、1987年、ISBN 978-4273021771) p.17-19〕。以下では、兼基を父、道平を兄として解説する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「二条師基」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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