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二条 良基(にじょう よしもと、元応2年(1320年)- 嘉慶2年/元中5年6月13日(1388年7月16日))は、南北朝時代の公卿、歌人であり連歌の大成者である。従一位。摂政、関白、太政大臣。 最初の関白は在任13年間の長期にわたり、死の間際まで通算5度(数え方によっては4度(理由は後述))にわたって北朝4代の天皇の摂政・関白を務めた。 == 家系 == *父:二条道平 *母:婉子(西園寺公顕の娘) *兄弟姉妹:栄子(後醍醐天皇女御)、二条良忠、富小路道直 *妻:土岐頼康の娘 * 二男:二条師嗣(1356-1400) *生母不明 * 長男:二条師良(1345-1382) * 三男:一条経嗣(1358-1418) - 一条経通猶子、一条兼良の父 * 男子:道意(1358-1429) - 聖護院門跡、園城寺長吏 * 男子:満意(1376-1465) - 園城寺長吏、熊野三山検校、准三后 * 男子:成瀬基久 * 猶子:四辻善成、今小路基冬(満済の父)、良玄及び師良の3子(道豪・桓教・良順) 『公卿補任』では南朝関白となった二条師基も良基の兄弟とされるが、父・道平の実弟で良基誕生以前にその猶子になっていたとする説が有力である〔木藤、1987年、P17-19〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「二条良基」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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