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二階堂 貞衡(にかいどう さだひら〔安田、1990年、p.451 「二階堂貞衡」の項(執筆:関口みさを)より。〕〔『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』(コトバンク所収)「二階堂貞衡 」の項 より。〕、生没年〔〔:正応4年(1291年) - 元弘2/元徳4年(1332年)1月7日)は、鎌倉時代後期の武士、鎌倉幕府の政所執事〔〔。父は二階堂行貞〔〔〔『尊卑分脉』。〕。 北条氏得宗家当主・鎌倉幕府第9代執権の北条貞時より偏諱を受けて貞衡と名乗ったものとされる〔没年からの逆算により算出された生誕年(正応4年(1291年))に基づくと、元服した年次はおおよそ1300年~1305年の間と推定することができ、その当時の執権であった貞時と烏帽子親子関係にあったと考えられている(紺戸淳 「武家社会における加冠と一字付与の政治性について」(『中央史学』二、1979年、P.15))。貞時在任中は得宗家当主(貞時)から一般の御家人へ「貞」の字が下賜される図式が成立していたことが論文で指摘されており(角田朋彦 「偏諱の話」(『段かづら』三・四(再興中世前期勉強会会報、2004年)p.20-21))、父・行貞とともにその対象者であったことが窺える。〕。通称は左衛門尉〔〔。美作守〔〔。検非違使〔。従五位下〔。安達時顕の娘との間に二階堂高衡(のち行直)〔、その他の子に二階堂高行〔、二階堂行光(『尊卑分脉』では行元、貞衡の弟・高貞(行広)の養子)〔がいる。 正中3/嘉暦元年(1326年)3月に出家し、行恵と号した〔〔〔〔『鎌倉年代記』・『武家年代記』元徳元年条。〕。元徳元年(1329年)5月19日には鎌倉幕府の政所執事となる〔〔〔が、元徳4年/元弘2年(1332年)1月7日に42歳で死去〔〔〔(『尊卑分脉』では元徳3年(1331年)1月7日に頓死したとする〔)。 == 脚注 == == 参考文献 == * 細川重男『鎌倉政権得宗専制論』(吉川弘文館、2000年) ISBN 4-642-02786-6 * 細川重男「政所執事二階堂氏の家系」(所収:鎌倉遺文研究会 編『鎌倉遺文研究2 鎌倉時代の社会と文化』(東京堂出版、1999年) ISBN 978-4-490-20375-2) * 安田元久編 『鎌倉・室町人名事典 コンパクト版』(新人物往来社、1990年) * 紺戸淳 「武家社会における加冠と一字付与の政治性について」(『中央史学』二、1979年) * 黒板勝美、国史大系編修会(編)『新訂増補国史大系・尊卑分脉 第2篇』(吉川弘文館) == 関連項目 == * 二階堂氏 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「二階堂貞衡」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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