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伊達 胤元(だて たねもと) / 亘理 胤元(わたり たねもと)は、幕末の仙台藩一門第四席・涌谷伊達氏第13代当主。 == 生涯 == 安政4年(1857年)、涌谷伊達氏第12代当主・伊達邦隆の子として生まれる。幼名は鉉太郎。 慶応3年(1868年)3月、邦隆の急死により12歳で家督を相続し、涌谷邑主となる。慶応4年(1868年)の戊辰戦争には、叔父亘理隆教が陣代として涌谷伊達家の兵を率いて出陣した。戊辰戦争の敗戦により仙台本藩が4分の1に知行を減封され、胤元も代々治めた涌谷領を没収される。明治維新後は、伊達から本姓の亘理に改めた。 明治2年(1869年)、新政府に北海道開拓を申請、空知郡の支配を許される。旧臣と共に北海道移住を志すも、在地で帰農を希望する者も多く挫折した。 明治15年(1882年)8月1日、死去した。享年26。息子の胤正は、アメリカに留学して農業を学び、大正4年(1915年)には衆議院議員となる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「亘理胤元」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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